巻二十七第十五話 赤子を食らう白髪の老婆の話

巻二十七(全)

巻27第15話 産女行南山科値鬼逃語 第十五

今は昔、ある所に宮仕えしている若い女がおりました。父・母、親類縁者もおらず、少しの知り合いすらいなかったので、立ち寄る所もなくて、ただ局にいて、「もし、病気になった時に、どうしたらいいのだろう」と心細く思うと、これといった夫もいないのに妊娠しました。

そういうことで、いよいよ我が身の前世からの因縁が思いやられて、ひたすら嘆いていましたが、まずは産む場所のことを考えていると、どうにもしようがなくて、相談するような人もおらず、主人に申し上げようと思っても恥ずかしくて言い出せませんでした。しかしこの女は賢く、思いついたことには「産気づいてきた時には、ただ一人で女童(めのわらわ、*1)だけを連れて、どことも知れない深い山に行って、どんな木の下ででも産んでしまおう」「もし死んだら、人に知られないで済むだろう。もし生きていたら、そんな気配も見せないで帰ってしまおう」と思って、臨月が近づいてきたので、悲しいことはいい表せないほどでしたが、そんな様子も見せないで、ひそかに計画して、食べ物を少し用意して、この女童には事情を言い含めて日が過ぎていく内に、臨月になりました。

そうしている間、払暁に産気づいたと思われたので、夜が明ける前にと思って、女童に荷物をすっかり用意させて、急いで家を出ました。「東の方が山は近いだろう」と思って、京を出て東に行こうと思った所、賀茂川の辺りで夜が明けました。「哀れなことだ、どこへ行ったらいいのだろう」心細いのを我慢して休み休み、粟田山の方へ行き、山に深く入りました。都合のよさそうな場所を見つけようとして行くと、北山科と言う所に着きました。見ると、山の崖に荘園のように造った所がありました。古くて壊れた家屋があって、見ると、人が住んでいる気配がありませんでした。「ここで産んで私一人で出て行ってしまおう」と思って、用心して垣のある所を超えて入りました。

粟田山

放出(はなちいで、*2)の間に板敷きをした縁の所々が朽ちずに残っていて、腰掛けて休んでいると、奥の方から人が来る物音がしました。「ああ困った、人の住んでいる所だった」と思って遣り戸を開けて見ると、白髪の老女が出てきました。「きっと出て行けとでも言うんだ」と思っていると、いい感じに笑い、「思いも寄らない人がいらっしゃいましたな、どなたでしょう」と言ったので、女はありのままを泣く泣く語れば、老婆は「なんと哀れなことでしょう。ただここで産んで行きなさい」と言いました。
女は「こんな嬉しいことはありません。御仏がお助けになられたのでしょう」と思って入ると、粗末な畳などを敷かせて、間もなく無事に出産しました。

老婆が来て「嬉しいことです。私は年老いてこんな片田舎にいる身なので、物忌み(ものいみ、*3)もしません。七日くらいこうしていらっしゃい」と言って、湯などをこの女童に沸かせさせて産湯をさせたので、女は嬉しく思って、捨てようとした子も、とてもかわいらしい男の子だったので、捨てられなくなって、母乳を飲ませて寝入りました。

こうして二三日過ごしている内に、女が昼寝をしていると、横に寝かしている子を老婆が見て言うことには「なんておいしそうだ、ただ一口」と言うのがかすかに聞こえました。目を醒まして老婆を見ると、大変恐ろしげに思えました。そうして、「これは鬼に違いない。私は必ず食われてしまうだろう」と思って、「こっそりと準備をして逃げてしまおう」と思いつきました。

そうしている間、ある時に老婆が昼寝をして大分経った時に、こっそりと子どもを女童に背負わせて、自分は身軽になって、「仏様、助けて下さい」と念じて、そこを出て、来た道をそのまま、走りに走って逃げたので、間もなく粟田口に出ました。そこから賀茂川の辺りに行って、小さな人家が立ち並んで、そこで衣類を着替えて、日が暮れてから主人の元に着きました。賢い女だったので、できたのかもしれません。子は人にあげて養ってもらいました。

その後、老婆の様子は分かりません。人にこうしたことがあったという話も聞きません。女が、年をとって老いた後に人に語ったということです。

古い場所には必ず霊鬼が棲んでいるものです。あの老婆も子を「なんておいしそうだ、たった一口」と言ったのだから、間違いなく鬼などであったのでしょう。
そんな場所には、一人で立ち入ってはいけない、と語り伝えたということです。

【原文】

巻27第15話 産女行南山科値鬼逃語 第十五
今昔物語集 巻27第15話 産女行南山科値鬼逃語 第十五 今昔、或る所に宮仕しける若き女有けり。父母親類も無く、聊に知たる人も無ければ、立寄る所も無くて、只局にのみ居て、「若し病などせむ時に、何かが為む」と心細思けるに、指(させ)る夫も無くて懐妊しにけり。

【翻訳】 長谷部健太

【校正】 長谷部健太・草野真一

【協力】草野真一

【解説】長谷部健太

この話も人気のない古い家には鬼がいるから泊まってはいけないという話。出産による血の穢れを忌む風習も描かれている。「私は年老いてこんな片田舎にいる身なので、物忌みもしません」という言動も、恐らく不自然ではなかったのだろう。

*1…召使の少女。
*2…寝殿造りで、母屋から外へ張り出して建てられた部屋。
*3……陰陽道の信仰で、凶兆異変があった時や、夢見が悪い時に一日や数日間家に篭り、人とも会わなければ手紙も受け取らないで身を慎む行為。平安時代に特に盛んに行われた。

【参考文献】
日本古典文学大系『今昔物語集 四』(岩波書店)
『今昔物語集 本朝世俗篇(下)全現代語訳』(講談社学術文庫)

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