巻27第16話 正親大夫□□若時値鬼語 第十六
今は昔、正親の大夫という者がおりました。
その人が若かった時に、身分の高い所に宮仕えしていた女を語らって、時々は棲み通ったが、しばらく行かなくなっていたので、仲立ちの女に言伝をしている仲立ちの女の所に行って「今夜はあの人に会いたい」と言ったので、女は「お呼びするのは簡単ですけれど、今夜はこの宿に長年付き合っている田舎の人が訪問してきていて泊まっているので、あなたがいらっしゃる所がないのが困りものです」と言ったので、「嘘を言っているのだろう」と思って近づいて見ると、さして広くない家なのに、馬や下人等が、たくさんいました。
「隠れる所がないのは、本当だ」と思っていると、この女はしばらく考えをめぐらせている様子で、「よい考えがございます」と言うので、「どうするのだ」と尋ねた所、女は「この西の方に無人の堂がございます。今夜だけはその堂にいらして下さい」と言って、近いくらいだったので、女は走って行ってしまいました。
しばらく待っていると、女は女房を連れて来ました。「さあ、いらっしゃい」と言ったので、一緒に連れて、西に一町(約100メートル)ほど行くと、古いお堂がありました。女はお堂の戸を引いて開け、自分の家の畳を一畳持ってきたものを敷き、大夫に預けて「夜が明けましたらお迎えに参りましょう」と言って、女は帰りました。
それから、正親の大夫は女と寝て、物語などをしていると、一緒に連れてきた従者もおらずただ一人で、人気のない古いお堂なので、何となく気味が悪かったが、夜中になったと思う位に、お堂の後ろの方に、火の明かりが出てきました。「人がいるのだろうか」と思っていると、女童(めのわらは、召使の少女)が一人で灯を点けて持って出てきて、仏の御前と思しき所に据えました。正親の大夫は「これは困ったことになった」と、めんどうに思っていると、背後から女房が一人出てきました。
正親の大夫は気味が悪く、恐ろしく思ったので、「どうしたことだろうか」と不審に思って起き上がって見ました。
女房は一間(約1.8メートル)ほど下がって様子を伺っていましたが、しばらく経って、「これは、どんな方が入っていらっしゃったのでしょうか。大変よろしくないことです。妾はここの主人です。どうして主にも言わないでここに来たのでしょう。ここには古くから人が来て宿る所ではありませんよ」と言いました。こう言う気配は、本当にいいようもないくらい恐ろしいことでした。正親の大夫は、「私はまさか人がいらっしゃる所とは存じませんでした、ただ、人が『今晩だけはここにいなさい』と申すので、来ました。そうは言ってもよくないことでした」と言いました。女房は、「早く出て行きなさい。出て行かなかったら酷いですよ」と言いました。正親の大夫は、女を引き立てて出て行こうとしたが、女は汗みずくになって、立ち上がらなかったので、強引に引き立てて出て行きました。男の肩に掛けて行ったけれど、歩けなくなったので、なんとかくふうをして主の家に連れて行って、門を叩いて女を入れて、正親の大夫は家に帰りました。
このことを思い出していると、髪の毛が逆立ってきて、気分が悪くなったように思えたので、次の日は一日中寝込んでいました。夕方になって昨夜の女の足が立たないのを不審に思って、女の家に行って聞いた所、同僚の女が言いました。
「その人は帰りなさってから、ずっと正気を失って死んだように見えたので、『何があったのでしょう』と人々が聞いてみても、何も言いませんでした。主人は驚き騒いで、寄る辺もない身の上でしたので、仮小屋を作って、そこに出して置かれたところ、間もなく亡くなられました」と言いいます。
正親の大夫はあまりのことに呆れ、「実は、前の夜にかくかくしかじかのことがあった。鬼の住んでいるところに人を寝かせてえらい目にあったものだ」と言いました。
女は、「そんなことがあったなんて、全く知りませんでしたよ」と答えましたが、いまさらどうにもなりません。それきりになりました。
正親の大夫が年老いてから人に語ったことを聞き伝えました。
そのお堂は今もあるということで、七条の大宮の辺にあると聞いていますが、詳しいことは知りません。
人がいないような古いお堂などには宿ってはいけないのだと、語り伝えていることです。
【参考文献】
日本古典文学大系『今昔物語集 四』(岩波書店)
『今昔物語集 本朝世俗篇(下)全現代語訳』(講談社学術文庫)
【原文】
【翻訳】 長谷部健太
【校正】 長谷部健太・草野真一
【協力】草野真一
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