巻27第32話 民部大夫頼清家女子語 第卅二
今は昔、民部大夫(戸籍などを扱う民部省の役人)で、□□頼清という人がありました。斎院を勘当になった(賀茂神社の職を解かれた)ので木幡(宇治市木幡)の別邸にうつりました。
頼清が女中として使っている女に、参川の御許(みかわのおもと)という者がありました。長く頼清につかえていましたが、主人が院の勘当によって木幡に行ったので、出勤せずに京の実家におりました。
ある日、頼清のもとより舎人男(とねりおとこ、召使い)が使者としてやってきて伝えました。
「急ぎの仕事ができたので、すぐに参上せよ。ふだん住んでいる木幡の家は、事情あって昨日引っ越した。今は山城(山城=京都府木津川市と山科=京都市山科区の二説あり)というところに家を借りて住んでいる。早く参れ」
女は五歳になる子を抱いて、いそいで出立しました。
行き着いてみると、頼清の妻は女に食事をふるまったりして、ふだんより親切にあつかい、もてなしてくれました。染め物をしたり洗い物をしたり、何かと忙しかったため、すぐに四、五日がすぎました。
ある日、妻が言いました。
「以前住んでいた木幡には、雑色(庭番)ひとりだけを残して留守をあずからせています。彼に伝えたいことがあるので、行って呼んできてくれませんか」
女はわかりましたと答え、子を同僚に預けて、出立しました。
木幡に着いて、家に入りました。「人がいないから、ずいぶんさみしいだろう」と思ったのですが、家には多くの人があり、先ほどの家で一緒に働いていた同僚もあります。奇異に思って奥に入ると、主人(頼清)もおりました。夢ではないかと立ち尽くしていると、
「おや、参河の御許ではありませんか。めずらしい。なぜ久しく出勤されなかったのです。殿は、神職に復帰されたのですよ。あなたにも人を遣わして知らせたのに、隣の家の人は『二、三日は主人のもとに参るので帰りません』と言っていたといいます。いったいどこに行っていたのですか」
女はあやしくおそろしく思いました。あったことをありのままに、びくびくしながら語ると、主人も家につとめる人も、おおいに恐れました。中には、笑う人もありました。
子は殺されてしまったかもしれない。女は心配でなりません。「どうか助けてください」と願ったので、家の人が大勢で例の場所をたずねることにしました。家があったはずのところは、はるかな野であり、背の高い草が生い茂っていました。人の姿はまったくありません。
胸が塞がるような思いで子を探すと、子は荻やススキのしげみの中で泣いていました。母は喜び、子をかき抱きました。
木幡に帰ると、こういうことがありましたと主人に伝えました。「作り話だろう」と言って信用されませんでした。同僚も、「ウソだろう」と語りあいました。しかし、母が我が子を深い野の中に捨て置くなどということがあるのでしょうか。
おそらく、狐などのしわざと思われます。子を失わなかったのはそのためだと多くの人が語りました。不思議なことがあったと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】
中山勇次
【校正】
中山勇次・草野真一
【協力】
草野真一
【解説】
中山勇次
ここで述べられている怪異には、利益がない。なぜそんなことをするのか、まったく説明がつかない。これは当時から疑問だったようで、「狐のしわざだろう」と結論づけられている。
理解の及ばないものこそ、真に恐ろしい。
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