巻二十七第二十三話 播磨国の鬼が、人家に来て射られた話

巻二十七

巻27第23話 播磨国鬼来人家被射語 第廿三

今は昔、播磨国(兵庫県姫路市)の□□郡に住んでいる人が死んだので、その後に死穢を祓おうとして、陰陽師を呼んで家にしばらく居てもらったが、その陰陽師が言うには、「こんど、某日に、この家に鬼が来るようです。決して油断なさらないように」と。
家人たちは、このことを聞くと、大変恐れおののいて、陰陽師に「それではどうすればいいのでしょうか」と言うと、陰陽師は、「その日に物忌み(ものいみ、※注)をすればよいでしょう」と言うので、すでにその日になったので、大変重い物忌みをして、「その鬼はどこからどんな姿でやってくるのでしょうか」と陰陽師に聞くと、陰陽師は「門から人の姿をしてくるでしょう。そうした鬼神は横っちょの、道から外れた道を行かないものです。ただ外でもない、正しい道を行くのです」と言うと、門に物忌みの札を立て、桃の木を切ってふさぎ、□□法を行いました。

そうした間に、そのしかるべき時を待って、門を固く閉じて、物の間から覗いていると、藍摺(あいずり)の水干(すいかん)の袴を着て、首に笠をかけた男が、門の外に立って家を伺っていました。陰陽師が「あれが鬼です」と言うので、家人は皆恐れ戸惑ったことは言うまでもありませんでした。この鬼の男はしばらく向かって立って、どこから入った様子は見えずに家に入ってしまいました。さて、家の中に入って竈(かまど)の前にいると、全く見知らぬ男でした。

家人たちは、「今ここで、一体なにが起きるんだ」と、肝も心もつぶれる思いでした。
その家の主の子で若い男は思いました。、
「もうどうしたってこの鬼に喰われてしまう。どうせ死ぬなら、後世の人たちにこの鬼を射たと聞かせてやろう」
物の陰に隠れて大きな□雁矢を弓につがえて、鬼に向かって狙いをつけ、強く引いたので、鬼の体の真ん中に当たりました。鬼は射抜かれたまま、立って走って逃げたと思うと、かき消すように消え失せました。矢は立たずに踊るように跳ね返りました。

家の者は、皆これを見て、「なんてことをするものだ」と言いました。
若い男は答えました。
「同じ死ぬのでも、後の時代の人の口に上ることもあるだろうと思って、試してみたのだ」
陰陽師も一泡吹かされたようでした。その後、その家には別段何ごともありませんでした。

だから、陰陽師が仕向けたことだったのではないかと思うべきなのに、門から入った様子から始めて、矢が踊り返って立たなかったことを思うと、男は只者ではなかったのだと思われました。
鬼が現れて人となって見えることはそうそうないことなので、恐ろしいのだと、そう語り伝えています。

【原文】

巻27第23話 播磨国鬼来人家被射語 第廿三
今昔物語集 巻27第23話 播磨国鬼来人家被射語 第廿三 今昔、播磨の国□□の郡に住ける人の死にたりけるに、「其の後の拈(したため)など為させむ」とて、陰陽師を呼籠たりけるに、其の陰陽師の云く、「今、某日、此の家に鬼来らむとす。努々慎み給ふべし」と。

【翻訳】 長谷部健太

【校正】 長谷部健太・草野真一

【協力】草野真一

【解説】長谷部健太

鬼を弓矢で射て撃退する話であるが、鬼とは中国語であり、日本語の霊のことで、現代でイメージする鬼とはだいぶ違っている。読みは「もの」であり、「もの」の「気」で、「物の気」=「物の怪」と変化して行ったのだろう。
「鬼が現れて人となって見えることはそうそうないこと」とは、鬼が霊的な存在から実体を持ったものへと移り変わっていく過渡期に見える話。

※…陰陽道の信仰で、凶兆異変があった時や、夢見が悪い時に一日や数日間家に篭り、人とも会わなければ手紙も受け取らないで身を慎む行為。平安時代に特に盛んに行われた。

【参考文献】
日本古典文学大系『今昔物語集 四』(岩波書店)
『今昔物語集 本朝世俗篇(下)全現代語訳』(講談社学術文庫)

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