巻二十七第二十八話 花を見て歌を詠じる霊の話

巻二十七(全)

巻27第28話 於京極殿有詠古歌音語 第廿八

今は昔、上東門院(藤原彰子)が京極殿にお住まいになっていた時に、三月二十日の頃、花が盛りで、南面の桜がなんとも言えないくらい綺麗に咲き乱れていたのを、院が寝殿でお聞きになられたので、南面の階(はし)隠し間で、たいへん気高い神のような声でもって、

 こぼれてにほふ花ざくらかな

と詠じました。その声を院がお聞きになって、「これはなんという人がいるのだろうか」とお思いになって、障子が上げられていたので、御簾の内側からご覧になられると、人の気配がないので、「これはどうしたことか、だれが詠んだのか」と、何人も召して探させましたが、どこにも人はおりませんでした。その時に驚きなさって、「これはどうしたことだ、鬼神の類だというのか」と恐れ、関白殿(藤原頼通)に急いで「こうしたことが起こりました」と申し上げなさいました。殿は言いました。
「いつもそうして詠じる声があるのです」

藤原頼通

院はいっそう恐れました。「人が花を見て興を感じて詠じたことを、こうして厳しく尋ね求めたから、恐れて逃げ去ったのだ」
と考えたのですが、「いつも起こることならとても恐ろしい」とおっしゃられました。だから、その後はいっそう恐れなさって、近くにもいらっしゃりませんでした。

これは狐などのしわざではないでしょう。物の霊などがこの歌を「すばらしい歌だ」と思い染めて、花を見るたびにいつもこうして詠じたのだろうと人は疑いました。そうした物の霊などは夜に現れるものなのに、真っ昼間に声を上げて詠じるとは、実に恐ろしいことです。

どんな霊なのかということはついに聞くことはないままだったと語り伝えられています。

【原文】

巻27第28話 於京極殿有詠古歌音語 第廿八
今昔物語集 巻27第28話 於京極殿有詠古歌音語 第廿八 今昔、上東門院の京極殿に住ませ給ける時、三月の廿日余の比、花の盛にて、南面の桜艶(えもいは)ず栄(さき)乱れたりけるに、院、寝殿にて聞かせ給ければ、南面の日隠しの間の程に、極じく気高く神さびたる音を以て、「こぼれてにほふ花ざくらかな」と長めければ、其の音を、...

【翻訳】 長谷部健太

【校正】 長谷部健太・草野真一

【協力】草野真一

【解説】長谷部健太

[藤原彰子]…永延二年(988年) – 承保元年十月三日(1074年10月25日)。藤原道長の長女で、一条天皇の中宮。後一条天皇、後朱雀天皇の母。万寿三年(1026)に出家。
[藤原頼通]…道長の長男で、約五十年にわたって摂政・関白・太政大臣を務め、その間、文化を育て、説話を保護した。

藤原摂関政治の中心人物、彰子が体験した怪異譚。
「こぼれてにほふ花ざくらかな」の和歌については、寛弘三年(1006年)に成立したと見られる『拾遺集』に

菅家萬葉集に
あさみどり野べの霞はつつめどもこぼれてにほう花櫻かな
よみ人しらず

とある。

(草野記)
出典は『俊頼髄脳

【参考文献】
日本古典文学大系『今昔物語集 四』(岩波書店)
『今昔物語集 本朝世俗篇(下)全現代語訳』(講談社学術文庫)

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