巻27第45話 近衛舎人於常陸国山中詠歌死語 第四十五
今は昔、□□という近衛舎人(このえとねり、*1)がいました。神楽舎人(かぐらとねり、*2)か何かだったのでしょうか、大変素晴らしい歌詠みでした。
相撲の使い(*3)で東国に下って行くと、陸奥国(青森・岩手・宮城・福島県)から常陸国(茨城県)に入るとき、焼山(たけやま、*4)の関所という大変深い山を通りました。その山を通るのに、馬に乗って手持ちで眠っていると、ふと驚いて目を醒まし、「ここは常陸国なのだな。遥か遠くまで来たことよ」と思い、心細くなり、障泥(あふり、*5)を拍子に打って、常陸歌という歌を歌い、二、三回繰り返して歌いました。すると、並外れて深い山の奥から恐ろしい声が、「なんとも愉快なことよ」と言って拍手するので、馬を止めて、「これは誰が言ったのだ」と言って従者達に尋ねたけれど、「誰が言ったのか聞こえませんでした」と言うので、頭の毛が太くなったように思えて恐ろしく思いつつ、そこを過ぎました。
さて、彼はその後、気分が悪くなって病気の様に思えたので、従者達も不審に思っていると、その夜に宿で寝入ったまま死んでしまいました。だから、そんな歌を深い山の中で歌ってはいけないのです。山神がこれを聞いて心惹かれて、その地に引き留めたのでした。
これを思うと、その常陸歌はその国の歌だったので、そこの神が聞いて感心して取って行ったのでしょう。
だから、これも山神等が感じ入って留めたのでしょうか。無益なことです。
従者達が驚いて嘆いたけれど、なんとかして上京して語り伝えたことを聞き継いで、こう語り伝えていると言うことです。
【原文】
【翻訳】 長谷部健太
【校正】 長谷部健太・草野真一
【協力】草野真一
【解説】長谷部健太
並外れた一芸を持つ人が夭折すると、神に連れて行かれたとする伝承があまたあるが、これもその一つ。しかしこの話には次の構図が見える。
朝廷≒天皇≒神⇒相撲
山の神⇒近衛舎人
なぜ主人公を近衛舎人にしたのか、これを表現するためではないかと思う。
巻二十七は「本朝付霊鬼」とあって、まさに怪異の目撃談・体験談集となっている。都市での話はさながら「平安時代の都市伝説」であり、「雅な平安時代」と言う一般的なイメージの影となっている。特に八、九話は大内裏での惨劇であって、神聖不可侵であるべきはずの場所ですら人気のない場所は安全ではない、そう思われていた。それだけ現代と違い、死が身近だった現実が反映されているのだろう。
*1…近衛府の下級官吏で、天皇・貴族・大臣等にも近侍した。
*2…近衛舎人で、宮中の神楽に奉仕するもの。
*3…七月の相撲節に具えて、例年二、三月頃、朝廷から派遣されて相撲人を諸国に召し歩く、正式のスカウト。
*4…現在の茨城県久慈郡大子町。陸奥への入口。
*5…馬具の一つで、はねる泥を避けるために、馬の両脇や腹に蔽いを垂れたもの。毛皮、または塗り皮で作られた。
【参考文献】
日本古典文学大系『今昔物語集 四』(岩波書店)
『今昔物語集 本朝世俗篇(下)全現代語訳』(講談社学術文庫)
田中貴子『百鬼夜行の見える都市』(ちくま学芸文庫)
(巻二十七 了)
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