巻17第25話 養造地蔵仏師得活人語 第廿五
今は昔、因幡の国高草の郡(鳥取市)野坂の郷に寺がありました。名を国隆寺といいます。かの国の前の次官、□□千包(ちかね)という人が建立した寺です。この寺の別当である僧が、仏師を呼び、宿願にしたがって、地蔵菩薩像を造らせようとしました。
ところが、この別当の僧の妻が、他の男に奪い取られて失踪してしまいました。別当の僧は心をまどわし、肝を失って、東西南北をたずね求め騒ぎました。地蔵菩薩を造ることはすっかり忘れてしまいました。仏師たちがやってきましたが、施工の指示もなく、食事もふるまわれないので、腹をへらしていました。
専当(雑務をする下級の僧)の法師が、仏師たちの様子を見て、善心から、食事を用意して仏師たちを養いました。何日かがすぎました。木像のかたちはできて、彩色するときになって、専当の法師は病を受けて死にました。妻子は嘆き悲しみましたが、どうしようもありませんでした。棺に入れて埋葬もせず、傍らに置いて朝暮に見ていました。六日めの未時(ひつじどき、午後六時)ごろ、とつぜん棺が動きました。妻が怖がりながらおそるおそる開けてみると、死人が生き返っていました。喜び、水をふくませてあげました。
しばらくすると、死人は起きあがり、妻子に語りました。
「死んですぐに、猛々しく恐しい大鬼二人がやって来て、私を捕らえ、広野に連れて行った。そのとき、一人の小僧がやってきた。とても美しかった。小僧は私を捕らえた鬼どもに言った。『おまえら鬼ども、この法師をゆるしてやれ。私は地蔵菩薩だ』。二人の鬼はこれを聞くと地にひざまずき、私をゆるした。そのときに小僧が言った。『私がわからないのか。因幡の国の国隆寺に、私の像を造っていたとき、ごたごたがあって、別当は像を造ることを忘れてしまった。しかし、おまえは仏師たちを養って、私の像を造らせた。おまえはかならず、像に彩色して供養しなければならない。別当のごたごたは続き、像をふたたび造ることはないだろう。おまえが遂げなければならない』。地蔵菩薩はそう言って、戻る道を教えてくれたと思うと、私は生き返っていた」
妻子はこれを聞くと、涙を流して悲しみ貴びました。
その後、専当の法師は私財を投じて、かの地蔵菩薩を彩色し、供養しました。その地蔵菩薩は今も国隆寺に安置しているといいます。
地蔵菩薩の誓いは他に勝ります。心あるならば、もっぱらに念じ奉るべきだと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
奥さんが消えちゃって地蔵がつくりかけになっちゃった話。興味深いのは僧侶の妻があったということ。これは浄土真宗から広がった慣習だと思っていたがこの時代にもあったのか。くわしい人教えてください。
ほぼ同じ話が、『宇治拾遺物語』にある。
コメント