巻17第40話 僧光空依普賢助存命語 第四十
今は昔、近江の国(滋賀県)に金勝寺という山寺がありました。その山寺に、光空という法華経持経者が住んでいました。長くこの山に住み、日夜に法華経を読誦して、おこたる事はありませんでした。その声は妙なる響をもち、聞く者はみな、これを貴びました。この持経者は心に慈悲があり、人を深く哀れんでいました。
この国に、兵平介(ひようへいすけ)という武人がありました。平将門の親類でした。とても荒っぽく、哀れみの心はありませんでした。朝には山野に出でて鹿鳥を狩り、夕には江河に臨んで魚貝を捕っていました。
悪人ではありましたが、光空持経者の読経を聞き、悲しみ貴んで、当初は持経者に深く帰依して山寺に通いましたが、やがて家に迎えいれ、経を読ませ、帰依しておりました。あるとき、年若い妻が光空持経者と密通していることを、従者からひそかに伝え聞きました。
兵平介はこれを聞いて、たちまち怒り、実否も聞かず、「持経者を殺そう」と考えました。「山寺に行く」とたばかり、持経者とともに山中に入り、持経者を捕えて木に縛りつけました。持経者は奇異を感じるとともに、かぎりなく怖れ悲しみました。どうしてこんなことをするのかを語らぬうちに、兵平介は声をあげて言いました。
「身体の中央を、すみやかに射よ」
従者のうちでも精兵が弓を取り、箭(矢)をつがい、強く引き、持経者の腹にあてて射ました。しかし箭は持経者に当らず、かたわらに落ちました。
「これは不思議なことだ」
従者はふたたび射ましたが、箭は前のようにかたわらに落ちました。
持経者は心乱れず、前生の行動が今、報いとなっていることを思いました。無実の罪によって、命を失おうとしている。それを考えなから、声を出して法華経を誦しました。
「於此命終。即往生安楽世界。阿弥陀仏。大伝薩衆。囲遶住所。青蓮花中。宝座之上」
(<法華経が説くとおり修行をするならば>命が終わっても往生し、安楽な世界に生まれることができるだろう。阿弥陀仏や菩薩に囲まれて、蓮華の宝座にあるだろう。<妙法蓮華経 薬王品第七>)
兵平介の郎等(家来、従者)にも、これを聞いて貴く思い、泣きたいような気持ちを持つ者がありましたが、主人をはばかって黙っていました。
二度射って当らなかったことを、兵平介は怒りました。
「おまえたちが弊(つたな)いからだ」
自ら弓を取りましたが、前と同じようにかたわらに落ちました。
兵平介は驚き怪しみ、弓箭を棄てて言いました。
「これはただごとではない。このように近くから射ったというのに、三度当たらなかったのだ。護法の加護があるためだ」
おおいに恐れ、持経者を解放しました。
兵平介は持経者に言いました。
「私は大きな誤りを犯しました。これより後は、あなたにたいして悪心をおこすことはありません」
涙を流し、咎(とが)を懺悔して、ともに家に帰りました。
その夜、兵平介は夢を見ました。白象に乗った金色に輝く普賢菩薩が、身に箭を三本、射立られています。夢で兵平介は問いました。
「なぜ身に箭が立っているのですか」
普賢は答えました。
「汝は昨日、無実の事によって、持経者を殺そうとした。私はその持経者にかわり、この身に箭を受けたのだ」
そこで夢から覚めました。
兵平介はいよいよ恐怖しました。
「私は無実の事によって、法華の持経者を殺そうとした。それを普賢菩薩が示してくださったのだ」
持経者に向かって、涙を流して懺悔して、この夢のことを語りました。持経者をおとしいれようとした従者は勘当し、追放しました。
それから二、三日間、持経者はこのことを考え続けました。深く世を厭い、本尊(持仏)・持経をもって、夜半すぎに家をひそかに出て行きました。その晩、兵平介はふたたび普賢菩薩を夢に見ました。
「汝は長く私を供養した。その功徳によって、私は汝を引接(浄土に迎え入れる)するだろう。しかし、汝は無実の事によって、私を殺害しようとした。悪を見ては遠く去り、善を見ては近付く。これは諸の仏の説いたところである。私は今この家を去り、他の所に行くことにする」
目覚めると兵平介は驚き怪しみ、持経者の居所を火を燃(ともし)て見回しましたが、持経者はいませんでした。本尊・持経もありません。すでに出ていった後でした。
夜が明けて、東に西に尋ね求めましたが、ついに行方を知ることはできませんでした。兵平介は歎き悲しみ、泣く泣く咎を悔いました。その後、何年も尋ね求めたのですが、ついに見つけることはできませんでした。
たとえ人に、さまざまなことを聞かせられても、実否をたしかめてから信ずるべきです。怒りのままに悪を行してはならないと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一




【協力】ゆかり

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