巻27第37話 狐変大椙木被射殺語 第卅七
今は昔、□□の頃、春日神社の宮司であった中臣□□という者がいました。彼の甥に中大夫□という者がいました。彼の馬が、草を食んでいる間に見えなくなったので、馬を探して中大夫は従者を一人連れて、自らは胡録(やなぐい、*1)を背負って出かけました。彼が住んでいるのは、奈良京の南にある三橋という所です。中大夫は、その三橋から出立して東の山の方を探しに入って行き、二、三十町(約2.2~3.3キロメートル)は進んだころ、日も暮れて夜になりました。朧月夜でした。
馬が草を食みつつその辺にいないだろうかと探し歩く内に、幹の太さが二間(約3.6メートル)はあろうかと見える程の、高さ二十丈(約60メートル)位の杉の木があり、一段(約10メートル)位離れて生えていたので、中大夫はこれを見つけて、そこで立ち止まりました。従者の男を呼び寄せて言うには、「もし俺の見間違いで無ければ、物の気に惑わされて思いもかけない方へ来てしまったようだ。ここに生えている杉の木はお前には見えるのか」と聞いたので、男は、「俺にも見えます」と答えました。中大夫は、「すると俺の見間違いではない、惑わし神(*2)に出逢って思いもかけない方向へ来てしまったのだろう。この国にこんな杉の木があったのをどこで見たのか」と聞くと、従者の男は、「心当たりがありません。そこには杉の木が生えていますが、小さな木です」と言ったので、中大夫は、「だからだ。惑わされてしまった。どうしたらいい。たいへん恐ろしいのだ。さあ、帰るぞ。家から何町位やって来たのだろう。煩わしいことだ」と言って、帰ろうとした時に従者の男が言うには、「こんな目に会っておめおめとこのまま引き下がるのは最悪です。この杉の木の幹に矢を突き立てておいて、夜が明けたら矢をご覧になって下さい」と言うので、中大夫は、「それももっともなことだ。では、それなら二人で射るぞ」と言って、主従揃って弓に矢をつがえました。従者の男が、「それでは、もう少し近寄って射て下さい」と言ったので、共に歩み寄って二人一緒に射ると、手応えがあったように思われて、その杉の木が突然消えました。だから中大夫は、「そらみろ、物の気に当たったに違いない。恐ろしいことだ。さあ帰るぞ」と言って、逃げるようにして帰りました。
夜が明けた朝、中大夫は従者を呼んで、「さあ、昨夜の所へ行って確かめてみよう」と言って、従者と二人で行ってみれば、毛も無いくらい老いた狐が杉の枝を一本銜えて、腹を二本の矢で射られて死んで横たわっていました。これを見て、「やっぱりな、昨夜はこいつが惑わしていたのだ」と言い、矢を引き抜いて帰りました。
この事は、たった二、三年前のことです。現代にはこんな珍しいこともあるものです。
道を間違えて知らない方へ行ってしまったら、怪しむべきだと語り伝えていることです。
【原文】
【翻訳】 長谷部健太
【校正】 長谷部健太・草野真一
【協力】草野真一
【解説】長谷部健太
惑わし神ではなく、狐に化かされていたという話。それにしても馬はどうなったのだろう。ここでも山中は異形のものが出没する異界として書かれている。
中臣氏は鎌足で有名な古代士族で、藤原の姓を賜らなかった一族は大中臣氏と共に神職を世襲することとなり、これまで共に神事に携わって来た斎部(忌部、いんべ)氏は排除されるようになっていく。それに対して斎部広成(いんべのひろなり)が平城(へいぜい)天皇に訴えた文が『古語拾遺』である。時に大同二年(807)、広成は八十歳を超えていた。
なお、中臣氏の氏神は天児屋命命(あめのこやねのみこと)で、春日神社の主神。
*1…矢を入れて背負う道具。
*2…人を惑わす神。
【参考文献】
日本古典文学大系『今昔物語集 四』(岩波書店)
『今昔物語集 本朝世俗篇(下)全現代語訳』(講談社学術文庫)
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