巻5第20話 天竺狐自称獣王乗師子死語 第二十
今は昔、天竺に古寺がありました。僧房に比丘(僧)があって、常に経を読んでいました。ある狐がこの経を聞きました。
「人も獣も心を高く持てば、王となることができる」
狐は思いました。
「私も心を高く持ち、獣の王となろう」
寺を出ると、一匹の狐に出会いました。頭を高くし、この狐をおどしました。この様子を見て、狐はかしこまりました。経を聞いた狐は、かしこまった狐を召し寄せ、またがりました。
さらに行くと、また狐に出会いました。狐に乗った狐の偉大な様子を見て、「これは何か子細があるにちがいない」と考え、かしこまりました。経を聞いた狐はこの狐を召し、(人が馬にするように)またがった狐の口をとらせました。
このように、出会う狐をみな家来にして、いかめしい顔をして千万の狐を随えて行くと、犬に出会いました。犬はこのありさまを見て思いました。
「これは獣の王だ。かしこまろう」
狐のように召し寄すと、たくさんの犬が集まりました。犬にまたがり、犬に口を取らせました。次に、虎・熊に出会い、これにまたがりました。
このように、多くの獣を集め眷属(家臣)として進んでいくと、象に出会いました。象もこの様子を見てかしこまりました。経の狐は象に乗り、多くの象を集めました。狐からはじめて、象に至るまで、多くの獣を随える王となりました。
次に獅子に出会いました。獅子は象に乗った狐が千万の獣をしたがえてやってくる様子を見て、「これは身分の高い方にちがいない」と思い、道の傍に膝をかがめてかしずきました。狐としては、このあたりが頂点なのですが、心中で思いました。
「私は多くの獣を随えた。次は獅子の王となろう」
狐は獅子を召し寄せ、言いました。
「私はおまえに乗ろうと考えている。またがらせなさい」
「獣の王であれば、断ることはありません。すみやかに乗ってください」
狐は獅子に乗りながら思いました。
「私は狐でありながら、象の王となった。まったく思いがけぬことだった。今度は獅子の王となろうとしている。まったく希有なことだ」
狐はいよいよ頭を高く持上げ、耳を立て、鼻から息を吹き出して、世間のすべてを見下して、獅子に乗り、象にその口を取らせて、「さらに多くの獅子を家来としよう」と思い、広野を渡っていきました。
象をはじめ、獣たちは思いました。
「獅子の声を聞いただけで、多くの獣は心を迷わし、肝を砕き、半死の状態になる。しかし、狐様の徳によって、友としてつきあうことができるのだ。まったく思いがけないことだ」
獅子は、必ず日に一度は吠えるものです。その日の昼ごろ、獅子はいつものように、頭を高く上げ、鼻から息を吹き出し、わずらしいものを見るような視線をあたりのものに投げかけはじめました。象をはじめ、多くの獣たちは思いました。
「いったい何がはじまるのだろう」
半ば死ぬような気持ちになり、身が凍りつくようでした。狐は、獅子がたてがみの毛を立て、耳を高く持ち上げた様子を見て、背中から転げ落ちそうに思いましたが、心を高くして、「俺は獅子の王だ」と思い直し、背中にしがみつきました。
獅子は雷鳴のような声をあげ、足を高く持ち上げて、吠え嗔(いか)りました。背中の狐は、逆さまに落ちて死にました。このとき、口を取った象をはじめ、何匹かの獣が倒れました。
獅子は思いました。
「獣の王と思ったからこそ、狐を乗せてやったのだ。しかし、私がすこし声を出して吠えただけで、落ち迷い、死に至った。私が本気で嗔(いか)り、前足で土を掻き掘りながら、大声で吠えたなら、堪えることはできないだろう。婢(やつこ、女奴隷。身分の低い者)のあさはかな考えに乗せられたものだ」
山の方に向かって悠然と歩いて去りました。
気を失っていた獣たちは、このとき目を覚まし、呆然とよろけながら帰りました。狐だけでなく、ほかにも命を落とした獣がありました。
象までで満足していればよかったのに、獅子に乗ったために、すべてを失ってしまったのです。人も身の丈に合わないことをしてはいけないと、語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】
西村由紀子
【校正】
西村由紀子・草野真一
【協力】
草野真一
【解説】
西村由紀子
『法苑珠林』にある話をつくりかえたもの。もともとは本生譚であり、これが釈迦仏の、これが仏敵・提婆達多の、これが弟子・舎利弗の前世である、と説明されるのだが、この話ではその部分がゴッソリ省かれている。 本生譚においては、釈迦の前世とされるキャラクターがもっとも重要だが、この話ではそこが省かれてしまったため、教訓としての色彩がうすれ、動物のストーリーになっている。
元話は『ジャータカ』(二四一)。
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