巻一第十話 提婆達多が仏をあやめる話

巻一(全)

巻1第10話 提婆達多奉諍仏語 第十

今は昔、提婆達多(だいばだった、デーヴァダッタ)という人がありました。釈尊の父方のいとこに当たります。提婆達多は釈尊の父・浄飯王の弟、黒飯王の子です。

提婆達多がいまだ太子だったころ、雁を射ました。雁は、矢が刺さったまま飛んで、悉達太子の庭に落ちました。悉達太子はその雁を見て、慈悲の心からこれを哀れみ、抱きとって矢を抜いてやりました。提婆達多は太子のところにやってきて、
「雁はどうした」
と問いました。
太子は雁を渡しませんでした。提婆達多はこれを怒りました。
悉達太子と提婆達多の仲違いがはじまったのはこのときです。

悉達太子が仏になってからは、提婆達多は外道(仏教以外の宗教)の典籍を学び、自分が学んでいる道を立派なものと考え、仏をねたみ、何度も仏と争いました。

仏が霊鷲山(りょうじゅせん)で法を説いていたとき、提婆達多は仏の御許に詣でて、言いました。

霊鷲山の山頂。インド、ビハール州

「仏は弟子がたくさんありますね。私にわけてください」
仏は許しませんでした。
提婆達多は、五百の新しい弟子をそそのかし、ひそかに提婆達多の住みかである象頭山に移住させました。仏の説法を止めることは破僧の罪であり、天上天下、多くの者が悲しみました。提婆達多はこの後、象頭山で五法・八支正道の法を説いたといいます。

舎利弗(しゃりほつ)は「この五百の新しい弟子を取り返そう」と考え、提婆達多のもとに行きました。
提婆達多が深く眠っているとき、舎利弗は襲いかかりました。目連は五百の弟子を袋につめ、鉢に入れて、空を飛んで仏のもとに帰りました。

提婆達多の弟子の倶迦利(くかり)は怒り、履物で師の面を打ちました。提婆達多はそのとき目覚め、
「五百の弟子が取り返されてしまった!」
とおおいに憤りました。

提婆達多は仏に大石を投げつけようとしました。山神が大石を防いだため、仏には当たりませんでしたが、砕けた破片が足に当たり、仏は親指より出血しました。これが第二の罪となりました。
提婆達多は手指に毒を塗り、傷ついた仏の足をさするふりをして、毒をつけようとしました。毒はたちまち薬となり、傷は癒えたといいます。

また、阿闍世王(あじゃせおう、アジャータシャトル。当時北インドに栄えたマガダ国の王)は提婆達多の甘言にしたがい、大象に酒を呑ませ、酔った象を放って、仏を殺そうと謀りました。五百羅漢(釈尊の弟子)は、酔った象を見て、恐ろしさのあまり空に飛び昇ったといいます。仏は手より五頭の師子の頭を出したため、酔象は逃げ去りました。

阿闍世王をそそのかす提婆達多

仏は阿闍世王の宮に入り、法を説いて教化し、王の帰依を受けました。
提婆達多は悪心を増し、宮を出ました。

提婆達多は花色(蓮華色)比丘尼(びくに、尼)の頭を打ちました。羅漢の比丘尼は命を落としました。これが第三の罪です。

大地が裂け、提婆達多は地獄に堕ちました。その裂け目は今でもあると伝えられています。

【原文】

巻1第10話 提婆達多奉諍仏語 第十
今昔物語集 巻1第10話 提婆達多奉諍仏語 第十 今昔、提婆達多と云ふ人有けり。此は父方の従父兄弟也。仏は浄飯王の御子、提婆達多は黒飯王の子也。 其(そこ)に、提婆達多、太子にて有ける時、雁を射たりけるに、其の雁、箭立ながら飛て、悉達太子

【翻訳】
草野真一

【校正】
草野真一

【協力】
草野真一

【解説】
草野真一

提婆達多は仏敵と称される人物で、逸話も多い。
釈尊の従兄弟であり、出家前の釈尊とことあるごとに比べられ、何をやっても勝てなかったので、嫉妬をつのらせたと伝えられる。

中勘助は提婆達多がヤショーダラー姫をはげしく恋慕し、やがて彼女が釈尊の妃となるに至ったため、道のみならず恋にも破れるさまを描いた。小説は、提婆達多が釈尊に尊敬と憎悪の入り交じった複雑な気持ちを抱く様子を描いている。

ここには記されていないが、彼は一度釈尊の弟子になっている。
初期の仏教教団の修行者管理体制はわりとフリーダムだったようで、そこに不満を抱き、独立して厳しく戒律を守る教団を作り上げた。

この教団はかなり息が長かったようだ。
中国唐時代の僧・玄奘三蔵(三蔵法師)は7世紀にインドを旅したとき、北インドで提婆達多派の教団に出会ったと『大唐西域記』に記している。

阿闍世王の逸話は日本の浄土宗・浄土真宗などで根本経典とされる『観無量寿経』にある。阿闍世は父王を殺害し、マガダ国の国王となるが、そこに至るまでの物語はたいへんドラマチックかつエロチックである。興味ある人はぜひ。

現代語 観無量寿経 - WikiArc

象を酔わせて人殺しの道具とするのはインドでは古来からおこなわれていたようで、象軍(酔った象によって構成された部隊)をいかに使うかが最大の兵法だった。
マケドニアのアレクサンダー大王はギリシャ・ペルシャを征服し中央アジアを平定して広大な帝国を築いたが、インドに至って兵をひかざるを得なかった。一説によれば、象軍に対してなす術がなかったためだと伝えられる。

紀元前2世紀にハンニバルがアルプス山脈を越えた際には、象軍をともなっているから、戦争に象を使うことはハンニバルの時代には一般化していた。象は輸出されていたようだ。

ハンニバルと共にローヌ川を渡河する戦象。Henri-Paul Motte画、 1878年

 

なお、レインボーマンの師匠であるダイバ・ダッタは提婆達多とは別人である。

もっとも、『レインボーマン』の原作者である川内康範(『月光仮面』や森進一の『おふくろさん』の作詞などで有名)は法華宗の寺の生まれであり、提婆達多をモデルにしたようだ。

主題歌にも出てくるんだ。カッコいい歌だぜ。

法華経には『提婆達多品』と題される一章がある。仏敵といわれる提婆達多も成仏できると説いた、悪人正機の章である。

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