巻一第五話③ 死んじまったらおしまいだ(釈迦伝12)

巻一

巻1第5話 悉達太子於山苦行語 第五

巻一第五話②より続く)
太子は迦蘭仙の苦行所に入りました。?陳如(きょうちんにょ、釈尊の最初の弟子となる)ら、5人が修行していた場所です。
太子は尼連禅河(にれんぜんが、ネーランジャラー川)の河畔で、坐禅して苦行しました。ある日は麻一粒、ある日は米一粒を食し、場合によっては一週間を麻一粒、米一粒で過ごしました。?陳如らは太子の側で、同じ苦行をしていました。
太子は思いました。
「私は苦行を修し、既に六年になった。だが未だ道を得ることができない。もし、この苦行に身がつかれ、命を失い、道を得ずに死んだなら、多くの人は『餓えて死んだ』と言うだけだろう。ならば、食べて、道を成すべきだ」
太子は座より立ち、尼連禅河に入り、沐浴しました。

釈迦苦行像 ガンダーラ、ラホール博物館

沐浴が終わっても、身はつかれ瘠せ、衰弱しきっていたので、川を出ることができませんでした。天神が来て、樹の枝に乗せ、岸にあがらせました。河畔に?離那(ありな)と名づけられた大樹がありました(インドではペットのように木を名づけて呼ぶ慣習がある)。その樹には柯倶婆(かくば)という神がありました。樹神は瓔珞(ようらく、ネックレスや腕輪など)で飾られた腕で太子を迎えました。太子は樹神の手を取り、川を渡りました。太子は自分が持っていた麻米を食べると、川に金の鉢を投げ入れ、菩提樹に向かいました。

近隣の林の中に牧場があり、難陀婆羅(なんだはら、スジャータ)という娘がおりました。浄居天は彼女に言いました。
「林の中に太子がいらっしゃっている。供養しなさい」
娘はこれを聞いて喜びました。
そのとき、池の中に、千の葉をもつ蓮華が生えました。その葉に乳の麻米(かゆ)が乗っていました。娘はこれを見て、「不思議なこともあるものだ」と思いました。彼女はその乳のかゆを取り、これを太子に捧げました。太子は施しを受け、身から光を放ち、気力の充実を得ました。

サルナート(インド) ムーラガンダ・クティー寺院の壁画

太子とともに修行をしていた五人の比丘(びく、僧)はこの様子を見て驚き、思いました。
「施しを受ければ、今までしてきた苦行がムダになり、堕落してしまう」
彼らはそれぞれ自分の場所に帰り、太子から離れていきました。

太子は、ひとり畢波羅樹(ひっぱらじゅ、菩提樹)の下に赴いたと伝えられています。

(了)

【原文】

巻1第5話 悉達太子於山苦行語 第五 [やたがらすナビ]

【翻訳】
草野真一

【校正】
草野真一

【協力】
草野真一

【解説】
草野真一

このまま断食を続ければ死ぬ。
死んじまったらおしまいだ。
釈迦はそう思った。

だから、食った。

一緒に修行をしていた人はこれを理由として離れた。
同時に彼らは言ったはずだ。
「軟弱者」「心弱いやつ」「根性なし」「挫折したやつ」
断食をやめるということは、同僚に侮蔑されるということだ。
これはとてもつらい。

「自分は生きてしなければならないことがある」
そんな確信があったからこそ、断食をやめられたのだろう。

年老いた釈迦はのちにこのころを振り返って言ったという。
「腹をつかもうとしたら、背骨をつかんでしまいました」

そして、六年の苦行はまったく意味がなかったと語ったそうだ。

自分はそうは思わない。
「意味がない」という結論を得るために、苦行というプロセスはどうしたって必要だ。

また、成道して仏陀となり、説法する相手の中には、苦行者もいた(最初の説法の相手は一緒に修行していた者たちだ)。
そういうやつらは絶対に言うだろう。
「おまえ、エラソーなこと言ってるけど、苦行したことねーだろ? そんなやつの言うこと聞くけるかよ」

言説に説得力を与えるために、苦行は必要だった。

ここで釈迦は生を選んでいるが、反対に自ら死を選ばざるを得ない者もたくさんいる。
それを言葉だけで安易に止めよう輩が多すぎる。
ハッキリ言おう、大嫌いだ。
だから以前、こんなテキストを書いた。

『ヨブ記』に人生との別れを見た いじめも自殺もなくならない 黙れ!

 

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