巻1第30話 帝釈与修羅合戦語 第三十
今は昔、帝釈天(インドラ)の妻は、舎脂夫人(しゃしふじん、シャチー)といい、羅睺阿修羅王(らごあしゅらおう)の娘でした。父の阿修羅王は舎脂夫人を取り戻すため、常に帝釈と戦っていました。
あるとき、帝釈天が戦に負けて敗走し、阿修羅王が追いかけていくことがありました。帝釈天は須弥山(しゅみせん、世界そのものを表す)の北面から逃げました。その道に、多くのアリが列を成して歩いていきます。帝釈天はそれを見て言いました。
「私がここで逃げるのをやめれば、阿修羅に討たれて命を落とすだろう。しかし、戒は破るまい。私がここで逃げて行ったなら、多くの蟻を踏み殺すことになる。戒を破れば、善所に生まれかわることはできない。仏道を成ずる事もできないだろう」
帝釈天は立ち止まりました。
阿修羅王は攻め来ましたが、帝釈天が立ち止まったのを見て思いました。
「帝釈は多くの援軍を得たにちがいない。その援軍とともに、私を責め殺すつもりだ」
阿修羅王は逃げ帰り、蓮の穴に籠もりました。帝釈天は敗走していたのですが、「蟻を殺してはならない」と思ったために、かえって戦に勝利することになったのです。
「戒を持(たも)つことは、三悪道(畜生・餓鬼・地獄の世界)に落ちず、急難を逃れる道となる」
仏がそう説いたと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】
草野真一
【解説】
草野真一
帝釈天が守ったのは、不殺生戒である。ここでは蟻を殺してはならないとされている。
もちろん魚も獣も殺してはならないんだが、うまそうに肉をほおばる坊主にしか会ったことはない。二十八話の不飲酒戒に続く不幸です。
阿修羅と帝釈天は常に争っているとされており、光瀬龍・荻尾望都のSF大傑作『百億の昼と千億の夜』ではこのありさまが印象的に描かれていた。
宮沢賢治の詩集のタイトルも、常に闘争する者=阿修羅(修羅)に自己を仮託したものだ。タイトルになった詩は……こういうと批判もありそうだが……ムチャカッコいい。
「修羅」語は熱心な法華信者だった賢治が常に読誦していた法華経にもある。
賢治が身体を壊したとき、健康の回復を願った母親は鯉をオブラートに包んで薬と偽って飲ませたそうだ。賢治はそれを知り涙を流したという。むろん、不殺生戒を犯したことを悔いたのだ。
帝釈天(インドラ)と妻である阿修羅の娘シャチーの話は、仏教ばかりでなくバラモン/ヒンズー教にも伝わる古代インドの神話である。
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