巻17第2話 紀用方仕地蔵菩薩蒙利益語 第二
今は昔、尾張に、長く公にとつとめた後、出家して、入道と称した人がありました。その人の家に一人の乱暴者がありました。武蔵介紀用方(むさしのすけきのもちかた)といいました。用方は武勇をもって聞こえていましたが、よこしまなモノの見方・考え方をする人で、善心はまったくありませんでした。
ところがあるとき、何があったのでしょうか、用方が道心を起こし、とくに地蔵菩薩に帰依するようになりました。毎月二十四日(地蔵菩薩の縁日)には、酒肉を断ち、女犯をせず、ひたすら地蔵菩薩を祈りました。また、日夜に阿弥陀仏の念仏を唱えていました。常に精進潔斎を欠かしませんでした。
とはいえ、用方はもともと激しやすい癇癪(かんしゃく)持ちで、何事もなく話している間にも、とつぜん火のように怒り出すことがありました。いつものことですから、人々は冷笑していました。そんなときでさえ、用方は怒りながら、地蔵菩薩を念じ、念仏を唱えることを怠りませんでした。
そのころ、阿弥陀の聖(ひじり)と呼ばれる人がありました。日夜、世の人に念仏を勧めていました。その聖の夢に、金色の地蔵菩薩が現れました。
地蔵が阿弥陀の聖に言います。
「明日、おまえが○○の小路で出会う人は、私、地蔵である」
聖は目覚めると、夢に地蔵菩薩が現れたことをとても喜びました。
翌る日の朝、聖が念仏を勧めようと○○の小路を行くと、一人の俗人(僧でない一般の人)と出会いました。
聖は問いました。
「あなたは誰ですか」
「私は紀用方です」
聖は用方を何度も礼拝し、涙を流してありがたがり、貴びました。
「善行を積んでいたということかもしれません。私は地蔵菩薩に会うことができました。願わくは、必ず私を導いてください」
用方はこれを聞き、驚き怪しみました。
「私は極悪邪見の者です。なぜ聖は喜び涙を流し、私を礼拝するのですか」
聖は泣きながら言いました。
「昨日の夜、金色の地蔵に会う夢を見ました。その地蔵は告げました。『明日の朝、この小路で出会う人が、私、地蔵である』と。私はその言葉を信じました。今、あなたと出会っています。あなたこそ地蔵菩薩の化身にちがいありません」
用方は思いました。
「自分が地蔵菩薩を信ずるようになってから、何年も経つ。だからこのようなことが起きたのかもしれない。これは、地蔵菩薩がなにかを示しているのかもしれない」
そう考えて、聖と別れました。
それから、用方はより深く地蔵菩薩を信仰するようになりました。やがて用方は年老いて、出家入道しました。それから十余年が経ち、病を得ましたが、苦しむことなく、心を保ったまま、西に向って弥陀の念仏を唱え、地蔵の名号を念じて逝きました。
これを聞いた道俗・男女は、涙を流して貴び感じ入ったと伝えられています。
【原文】
【翻訳】
草野真一
【解説】
草野真一
前話は地蔵菩薩が化身となって信心深い僧の目前に姿を現す話である。
この話はその逆、つまり目の前の人を地蔵菩薩と思い込むが、その人はただの人だったという話だ。
おもしろいのは、間違われた人も間違えた人も、たいへんに信仰が厚い人物だということ。間違われたほうは乱暴者で癇癪持ち、人々に冷笑される、ひとことでいえばロクデナシだ。だが、この事件をきっかけに、彼の人生は大きく変わっていく。
じつは、ここにはホンモノの地蔵は出てこない。
だからこそ滋味を感じさせる話になっていると言えるだろう。
『今昔物語集』十七巻は地蔵霊験譚を集めている。
つまり、地蔵は1000年前、平安時代末期には一般的な存在だったということだ。
ところが、仏教が誕生した国・インドでは、地蔵はほとんど信仰されたことがないのだ。簡単にいえばマイナーな存在であって、僧の姿もしておらず、髪の毛も長い。誰にでもわかる明確な特徴がないから、人々の記憶にとどまる存在ではなかった。
地蔵が坊主頭になったのは中国に入ってからである。人気が集まりはじめたのはここからで、やがてそれが日本に入り、大ブレイクした。
そういやポール・ウェラーのファーストアルバムは日本でしか出なかった。
ウェラーが本国で人気者になるのは、その後のことである。クイーンもチープ・トリックも、火がついたのは日本が最初である。はじめは、日本だけの人気だった(それで終わっちゃったやつもたくさんいる)。
地蔵が大流行したのも、日本特有の現象である。
路傍の地蔵、見たことあるでしょ? 日本には地蔵像がたくさんあるが、仏教国は世界に数あれど、こんなに地蔵をありがたがってるのは日本だけである。
『地蔵延命経』という偽経(ウソの経典)もつくられた。
流行ってるから、お経が欲しかった。「おしゃかさまはこう言っている」という文句が欲しかったんだが、いいのがなかった。それで、自前でつくった。日本でつくった。
なぜ、こんなに流行ったんだろう?
こんなに信仰されたのは、どうしてだろう?
地蔵には、「日本人」が現れている。
コメント