巻17第1話 願値遇地蔵菩薩変化語 第一
今は昔、京の西部に住む僧がありました。たいへん熱心に仏道を歩んでおりました。とくに、地蔵菩薩にたいする思いが強く、「この身のまま、生身の地蔵にお会いして、教えを乞いたい」と考えておりました。
地蔵の霊験あるところをたずねては、思いを語りました。これを聞く人はみな、彼をあざ笑いました。
「あなたの願いはまったく愚かです。どうして生身の地蔵に会わねばならないのですか」
しかし、僧はその思いを失わず、諸国をたずね、常陸の国(茨城県)に至りました。
歩いているうちに日が暮れました。賤しい下人の家に宿泊しました。その家に、ひとりのおばあさんがおりました。また、十五、六歳ほどの牛飼の童子がおりました。やがて人がやってきて、この童子を呼びました。しばらくすると、童子の泣き叫ぶ声が聞こえました。童子は家に泣く泣く戻ってきました。
僧はおばあさんに問いました。
「この子はどうして泣くのですか」
「主人の牛を飼っているのですが、いつも折檻されて泣くのです。父親に早く先立たれたために、頼ることができません。この子は、(地蔵の縁日の)二十四日に生れたので、名を『地蔵丸』と申します」
僧はこの童子の話を聞いて、不思議に思いました。
「この童子は、私の年来の願いである、地蔵菩薩の化身かもしれない。だが菩薩の誓いは不可思議なものだ。私のような凡人には、それを知ることはできない」
これを確かめることはできませんでしたから、終夜寝ずに、一心に地蔵を念じました。
丑の時(午前二時ごろ)になると、この童子が現れて言いました。
「私はあと三年、ここの主人に折檻されるはずでした。しかし、あなたに出会ったので、その勤めは終わりました」
童子はそう言うと、外に出たとも思えないのに、かき消すようにいなくなったのです。
僧は驚いて、おばあさんに問いました。
「これはどういうことですか。童子は誰だったのですか」
するとおばあさんも外出したわけでもないのに、姿を消しました。
そのとき僧は悟りました。
「彼らは地蔵の化身だったのだ」
大声で叫び探しましたが、ついにおばあさんも童子も見つかりませんでした。
夜が明けて、おばあさんと童子のことを泣きながら里の人に語りました。
「私は年来、地蔵菩薩を信仰し、『生身にお会いしたい』と願ってきました。今、この思いは通じ、地蔵菩薩の化身に値遇する機会を得ました。ありがたいことです。貴いことです」
里の人はこれを聞いて、涙を流しました。
あり得ないようなことでも、心から願うなら、このような奇蹟も起こり得ます。心から願うことがなければ、仏菩薩に会うということもできないのです。かの僧がそう語ったと伝えられています。
【原文】
【翻訳】
草野真一
【校正】
草野真一
【協力】
草野真一
【解説】
草野真一
『今昔物語集』の成立は平安時代末期といわれており、徳川家康が江戸に幕府を開くずっと前になる。当時、関東平野は武蔵野といわれるだだっ広い荒れ野だった。
常陸国(茨城県)は京から行ったら絶対に関東平野を横切らずにはたどりつけない。この僧の思いの強さはまったく大したものである。
特定の仏の縁日は月に十日あり、これを十斎日(じっさいにち)と呼ぶ。毎月24日は地蔵菩薩の縁日である。
仏や菩薩が化身して現れるという話はいくつもあり、この話は決して珍しいものではない。
この人は菩薩が化身しているのではと思ったことは自分にもある。
その後、出会うことがなければ、それが否定されることはない。
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