巻17第13話 伊勢国人依地蔵助存命語 第十三
今は昔、伊勢国飯高の郡(三重県松阪市)に住んでいる男がありました。毎月二十四日(地蔵の縁日)には精進して戒を受け、地蔵菩薩を念じており、これを年来の勤めとしていました。
飯高の郡には、水銀を献上するならわしがありました。この男も郡司に徴発され、水銀採掘者として同郷の者と三人で採掘所に行きました。十余丈(約三十メートル)の穴を掘り、それに入り、水銀を掘りました。
あるとき、穴の口の土がくずれて、塞がってしまいました。口が塞がっても中は空洞だったので三人は穴の中で生きていました。共に涙を流して泣き悲しみましたが、穴を出ることは不可能でした。絶望して死ぬことを悲しみました。
男は思いました。
「私は毎月二十四日には、精進して戒を受け、地蔵菩薩を念じ、怠ることがなかった。今、この難にあい、命を失おうとしている。願くは地蔵菩薩よ、大悲の誓をもって、私の命を助けたまえ」
すると、暗い穴の中で、火の光を見ました。光はだんだん明るくなり、穴の中を照らしました。
十余歳ほどの端正な小僧が、手に紙燭を持っていました。
「私のあとにちてきなさい」
男は恐れ喜び、小僧についていくうちに、自分の里に出ていました。小僧はいなくなっていました。
「これは地蔵菩薩の助けなのだ」
感動して涙を流して礼拝しました。いつの間にか、自分の家の門に着いていました。
「残りの二人も命が助かっただろう」と思いましたが、いなくなっていました。思えば、紙燭の火の光は、穴の中で消えていました。二人は火の光を見ることがなかったのです。彼らは信の心がなかったため、地蔵の加護を受けることができませんでした。
帰り着くと、妻子は命があったことを喜び、問いました。男はことのありさまを語りました。その後はいよいよ心を尽くして地蔵菩薩を念じ奉るようになりました。
これをきいて、郡の人は、多く地蔵菩薩を造り、水銀採掘の際には念じたと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】
草野真一
【解説】
草野真一
地蔵はその名から鉱物採掘者に信仰されることが多かった。炭坑労働がさかんだったころは地蔵信仰もさかんだったのかもしれない。
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