巻17第19話 三井寺浄照依地蔵助得活語 第十九
今は昔、三井寺(園城寺、滋賀県大津市)に一人の僧がありました。名を浄照といいます。
十一、二歳ぐらい、まだ出家していない子供のころ、同じぐらいの年齢の子と、戯れに僧形の像を刻んで、これを地蔵菩薩と呼び、古寺の仏檀の辺に置いて、他の子といっしょに花をそえ、供養する遊びをしました。遊びですからその後は像のことは忘れていました。
そののちに出家して、浄照と名乗りました。師に随って法を学び行を修して、顕密(顕教と密教)の教えを学び、とても高貴な身となりました。
三十歳になるころ、身に病を受け、数日をすごしました。ふだんとは異なる心地がして、病は重くなり、ついに死にました。にわかに屈強な者が二人あらわれ、浄照を搦め捕えて追い立て、黒い山の麓に至りました。山には大きな暗い穴があって、浄照はその穴に入れられました。
浄照はおそろしくて心迷い、肝をつぶしました。わずかながら心に思うことがありました。
「私は死んだのだ。しかし、生きているころには法華経を読誦し、観音・地蔵に熱心につかえていた。私を助けてください」
穴の中は風がとても強く、目に風があたり、開いていることもできません。両手で目をおおいました。
やがて閻魔の庁に至りました。四方を見まわすと、多くの罪人が苦しんでいました。泣き叫ぶ声が雷の音のように響いていました。
そのとき、一人の美しい小僧があらわれました。小僧が言いました。
「私をおぼえていないか。私はおまえが子供のころ、戯れにつくった地蔵である。信じる心もなく、ただ遊びでつくったものだが、私はこれを縁として、ずっとおまえを守っていた。私の大悲の誓願によって、人々の善悪を定めるところにいる。ほとんどの者は、浄仏国土の菩薩の功徳荘厳を忘れてしまっているようだ。私はおまえを守ってきたが、ゆえあってすこし離れている間に、おまえはここに召された」
浄照はこれを聞くと、ひざまずいて涙を流し礼拝しました。小僧は浄照を庁の前につれていって、彼のおこないを訴えました。次の瞬間、浄照は生きかえっていました。
その後、浄照は堅固な菩提心をおこし、本寺を去って、多くの山をまわって流浪し、永く仏道を修行して、退くことはありませんでした。
これは地蔵菩薩の利生の方便ではないでしょうか。戯れに木を刻み、地蔵と名づけただけで、その後は供養することもなかったのに、地蔵の利生は続いていたのです。まして、心をつくしてつくったり描いたりした像を供養する功徳を知るべきでしょう。
浄照が語ったことを聞き、語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
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