巻四第四十一話 子を失った父親があの世に行った話

巻四

巻4第41話 恋子至閻魔王宮人語 第四十一

今は昔、天竺に比丘(僧)がありました。「羅漢(聖人)になろう」と思い修行していましたが、六十歳になっても羅漢になることができませんでした。とても歎き悲しみましたが、ついに力がおよびませんでした。

その人は考えました。
「私は『羅漢になろう』と考え、長く修行を続けてきたけれども、ついに果たすことができなかった。還俗(僧から一般人に戻ること)して、家に帰ろう」
還俗してすぐ、妻をめとりました。妻はたちまち懐妊し、端正な男の子を生みました。父はこの子を目に入れても痛くないほど愛し、かわいがりました。
ところが、この子は七歳のとき、亡くなってしまったのです。父は悲しみ、その遺体を棄てる(葬る/解説参照)こともできませんでした。
近隣の人がこれを聞き、やってきて言いました。
「あなたはとても愚かです。死んでしまった子を悲しんで、いまだ棄てずにいることは、とても愚かなことです。棄てずにいたところで遺体はそのままではないでしょう。早く棄てなさい」
近隣の人は、遺体を父から奪いとって棄てました。

父は、悲しみに堪えることができませんでした。子供にもう一度会いたいという気持ちから、考えました。
「閻魔王のところに行って、息子にもう一度会えるようお願いしよう」
とはいえ、閻魔王がどこにいらっしゃるのか、まったくわかりません。たずね歩いていくと、ある人が教えてくれました。
「そちらの方角にずいぶん行ったところに、閻魔王の宮があります。大河があり、その川の上流に七宝の宮殿があります、その中にいらっしゃいます」

Yama’s_Court(閻魔の宮)

父はこれを聞くと、教えられたとおりに歩いていきました。長い長い距離を歩いていくと、大河がありました。七宝の宮殿はその大河の中にありました。父、はこれを見ると、喜びながら、おずおずと近づいていきました。
気高くやんごとない人が来て、問いました。
「あなたは誰ですか」
「私はこのとおりの者です。私の子は、七歳で亡くなってしまいました。子を恋い、悲しむ心が押さえられず、子の姿を見たいと王に願うためにきたのです。王が慈悲をもって、子を見せてくれることを願っています」

Yama(閻魔)チベット、17世紀)

取り次ぎの貴人が王にそれを伝えると、王が言いました。
「すぐに会わせてやるがいい。その子は後園にいる。行って見るように言いなさい」
父はとても喜んで、教えにしたがって行ってみると、我が子がいました。同じ歳ぐらいの童子たちと遊び戯れています。

父は子を呼び、泣きながら言いました。
「私は毎日、おまえに会いたいと思っていた。王にお願いして、会うことができた。おまえはお父さんに会いたいと思わなかったか」
子はと父に会ったことをとくに喜ばず、歎く様子もなく遊びに行きました。父はこれをとても悲しみ、涙を流しました。子はそれを見ましたが何とも思わず、父に声もかけませんでした。歎き悲しんだところでどうしようもないので、父はそのまま帰るしかなかったのです。

生を隔て、あの世の人になってしまうと、もとの心はなくなってしまうのでしょうか。父はこの世にあって、心を変えられなかったため、このように恋い悲しんだのかもしれません。

そう語り伝えられています。

【原文】

巻4第41話 恋子至閻魔王宮人語 第四十一
今昔物語集 巻4第41話 恋子至閻魔王宮人語 第四十一 今昔、天竺に一人の比丘有けり。「羅漢に成らむ」と思て行ひけるに、年六十に至て、羅漢に成る事を終に得ず。此の事を歎き悲むと云へども、更に力及ばず。

【翻訳】
西村由紀子
【校正】
西村由紀子・草野真一
【協力】
草野真一
【解説】
西村由紀子

この話では、遺体を「棄てる」と表現されている。

平安時代の日本においては火葬はまれで、遺体は町はずれの決められたところに放置されていたそうだ。

インドでは火葬にしたうえでガンジス川に灰を流すのが有名だが、火葬できない貧しい人は、遺体をそのまま川に流す。

ガンジス川近くで遺体を火葬にする

とはいえ、広大なインド大陸ですべての人にそれは不可能だ。南インドの人は、ガンジス川など無縁な生活をしているはずで、そういう地域の人はどうしているんだろう。調べたんだけど、わからなかった。(知ってる人、教えてください)

閻魔はサンスクリット(古代インド)の言葉yamaの音訳。閻魔さまはインドで生まれたのだ。

Yama(閻魔)インド、19世紀初頭

あの世にいる子が父に興味を持たないのは哀しいことだけど……子の愛情より親の愛情のほうがずっと深いそうだから、こうなったのは住む世界が違ってしまったことだけが理由ではない。
60歳を過ぎてからの子だ、なくした痛みは大きい。

もとになった話は『法句譬喩経』にあるそうだ。そこではこの後、父が祇園精舎で釈尊の説法を聞き、「羅漢となった」で終わっているという。
この話は「羅漢になれない」ではじまっているから、そこが結びとなるのは道理だが、そんなのない方がこの話の重みが伝わる。すくなくとも、『今昔物語集』の作者はそう考えたのだろう。

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コメント

  1. 柳瀬照美 より:

    はじめまして。
    以前、仏典で、重い病にかかり、死期を覚った仏様のお弟子が看取りの友と呼ばれる朋輩と山奥へ入って行って死を待つお話を読んだことがあります。鳥葬の描写のようでした。また、貧しい人は墓地に遺体を放置される場面もありました。仏陀はそこで座禅を組んでいて、スダッタ長者(祇園精舎を寄進した須達長者)と出会ったという話もあります。ガンジス川は聖なる川で、古くから、そこへ遺灰や遺体を流すことは幸せであると聞いたことがあります。

    • ほんやくネット より:

      コメントありがとうございます!
      ブッダやその周辺の人たちは北インドの人たちなので、がんばって歩けばガンジス川に行くこともできたでしょう。その鳥葬の話や墓地の話、興味深いので調べてみます。

      ガンジス川はシヴァ神の川であり、バラモン/ヒンズー教徒はとても大事にしています。ちなみに、シヴァが日本に入ってきて大黒神と呼ばれます。

      インドは広いので、南の人はガンジスなんか行けるはずなく、遺体はどうしてるのか私もわかりません。ガンジス川に流すのがめずらしいらしくそのレポートはよく目にするんですが、北インドの風習ですよね、あきらかに。