巻4第22話 波羅奈国人抉妻眼語 第廿二
今は昔、天竺の波羅奈国(はらなこく、ヴァラナシ)に一人の人がありました。邪見にして仏法を信じませんでした。その人の妻はもっぱら仏法を信じておりましたが、夫の心に随って、お勤めはしませんでした。
ところが、思いがけず一人の比丘に出会い、ひそかに法華経十余行を習いました。夫はこれを聞いて、妻に言いました。
「おまえは経典を習ったそうじゃないか。貴いなあ」
夫はそう言って出ていきました。妻はこれをおそれました。しばらくすると夫が帰ってきて言いました。
「おれが歩いていると、若くて肉感的な端正美麗な女が死んでいた。その女の目はとてもきれいだったから、えぐりとって、ここに持って来た。おまえの目は、かわいげがなくて醜いから、とりかえようと思うんだ」
妻はこれを聞いて泣き悲しみました。
「眼を抜きとられたなら、生きてはいられないだろう。たちまちに死んでしまうだろう」
乳母は泣き叫びながら言いました。
「だから経を読んではいけないと言ったではありませんか。聞かなかったから、ついに身をほろぼすことになったのです」
妻は乳母とともに嘆きつつ言いました。
「この身は無常の身です。命を惜しんでも、いつかは死ぬものです。いたずらに朽ち損じるよりは、法のために死ぬほうがいい」
そのとき夫は客殿にありました。声を荒げ、妻を呼びました。逃げる方法はなく、「とうとう今、死ぬんだ」と考えて行きました。夫は妻を捕え、膝の上に横たわらせ、眼をえぐりとって、大路に捨てました。道行く人は彼女をあわれみ、敷物を与えました。女は道の辻にこれをしいて寝ました。眼はなかったが命はありました。三十日が過ぎました。
ある日、一人の比丘がやってきて問いました。「あなたはどういう人ですか。なぜ眼がないのですか。なぜ臥しているのですか」
女は事の次第を話しました。比丘はこれを聞くと、不憫に思って、山寺につれていって、九十日養育しました。
夏の終(注参照)、盲女は夢を見ました。
「自分が読んだ『妙法』の二字が、日月となって空より下り、私の眼に入りました」
そのとき夢からさめました。上は欲界六天(天国)の様々の勝妙の楽が手のひらにあるように見えました。下は閻浮提(世界)の二万由繕那(ゆぜんな、由旬に同じ。距離の単位。一由旬は王の一日の行程)を見通して、等活・黒縄また無間地獄(八大地獄)の底を見ました。どちらも鏡を見るように見えました。
女人は喜んで、師の比丘のこのことを語りました。
「このような夢を見ました」
比丘はこれを聞いて、喜び悲しみ、貴びました。
法華経十余行の威力によって、天眼を得たのです。まして、心を至して『法華経』一巻をすべて読誦する人の功徳は量りがたいものがあります。それを知るべきであると語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 柴崎陽子
【校正】 柴崎陽子・草野真一
【協力】 草野真一
【解説】 柴崎陽子
インドは雨期と乾期がある国です。雨期には毎日スコールのような雨が降り洪水が起こることもめずらしいことではないので、出歩くことは推奨されていません。夏安居という仏教の慣習はこれを起因として起こっています。反対に、乾期は一日中よく晴れた日が何十日も続きます。
この話では、「九十日」「夏の終」というかたちで夏安居にふれています。
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