巻四第三十二話 薬が人となり皇子を救った話

巻四(全)

巻4第32話 震旦国王前阿竭陀薬来語 第卅二

今は昔、震旦(中国)に皇子がありました。容姿が端正で美しい心をもっていました。父王はこの皇子をたいへんに愛していました。

やがて、皇子は重い病を得て床につき、数か月が経ちました。国王はこれを歎き、天に祈るとともに各種の薬を与えて療治しましたが、病は癒えません。

そのころ大臣として、たいへん位の高い医師がおりました。しかし国王はこの大臣ととても仲が悪く、敵のようでした。皇子の病も、この大臣には相談しませんでした。しかし、この大臣は医学に通じています。国王は年来の怨みを捨て、大臣を召し、皇子の病についてたずねました。

大臣は大いに喜び参内しました。
国王は言いました。
「私たちは長い間、たがいに怨みの気持ちを持っていて、親しまなかった。皇子が身に病をもち煩いついて、多くの医師を召して療治させたが、癒えることはなかった。年来の怨みを忘れて、そなたを呼び寄せたのはそのためだ。皇子の病を療治してほしい」
大臣が答えました。
「年来、勅命をいただけず、暗い夜のようでした。今、命をたまわり、まるで夜が明けたようです。すぐに皇子の病を見ることにしましょう」

大臣は皇子を見て言いました。
「すぐに薬を処方しましょう。これを服していただければ、病は癒えるはずです」
国王はこれを聞き、大いに喜びました。
「薬の名は何という」
大臣は困りました。薬ではなく、人が服せば、即座に死に至る猛毒を処方していたからです。この機会に年来の怨みを晴らし、皇子を殺そうとしたのです。
大臣は国王に答えなければならないので、苦しまぎれに「これは阿竭陀薬(あがだやく)と申します」と言いました。
国王はこの薬の名を聞いて、「その薬を服した人は、死ぬことがないという。皷(つづみ)に塗って打つ音を聞いた者は、病を失うという。これを飲んだ人の病が癒えないはずはない」と深く信じて、皇子に与えました。

その後、皇子の病はたちまち癒えました。薬を与えた後、大臣は既に家に帰っていて、「皇子はそろそろ死んだころだ」と思っているところに「すぐ癒えた」という話を聞き、妙に思いました。国王は、皇子の病を癒したのは大臣の徳であると喜びました。

やがて、日が暮れました。夜になって、国王の部屋の扉を叩く者があります。国王はあやしんで、「扉を叩くのは誰だ」と問います。すると、「阿竭陀薬が参りました」と答えがかえってきました。
国王は、「不思議なことがあるものだ」と思いつつ、扉を開くと、端正な若い男女が座っています。男女は国王の御前に出て、言いました。
「私たちは阿竭陀薬です。今日、大臣の持参して、皇子に服用させた薬は、ひとたび口に入れればたちまち命を失う猛毒です。大臣は皇子を殺すために、毒を『薬です』と言って服用させようとしたのです。そのとき王が『これは何という薬だ』と問うたので、大臣は答えることができず、『これは阿竭陀薬です』と心にもないことを答えました。王は、これを深く信じて皇子に与えようとしています。このとき、『阿竭陀薬です』という大臣の答えがほのかに聞こえました。『このままでは、阿竭陀薬を飲む人は、たちまち死に至ると知れ渡ってしまう』と思ったので、私たちが代わりに服されることにしました。すると、病はたちどころに癒えました。私たちはこれを申し上げるために来たのです」
そう語ると、男女は姿を消しました。

国王はこれを聞いて、肝がつぶれるほど驚きました。そしてまず大臣を召して、ことの次第を問いつめました。大臣は隠すことができず、首をはねられました。皇子はその後、病をせずに長生きしたといいます。これは阿竭陀薬を飲んだからです。

すべては、信じるところからはじまります。信じることで、このように重篤な病も癒えます。そう語り伝えられているということです。

【原文】

巻4第32話 震旦国王前阿竭陀薬来語 第卅二 [やたがらすナビ]

 【翻訳】
草野真一

【解説】
草野真一

震旦とは「チーナ・スターナchina staana」、秦を梵語読みしたものを漢語にしたもの(ややこしい!)で、中国を意味する言葉だ。つまり、震旦とChina、支那は同じ語源である。

『今昔物語集』は大きくわけて3つのパートにわかれている。

巻一~巻五 天竺部(インド)
巻六~巻十 震旦部(中国)
巻十一~三十一 本朝部(日本)

これは震旦の話であるから、震旦部に入れるのがセオリーなのだろう。ところが、巻四(天竺部)に入れられている。これは、よく似た話を二篇(ときには三篇)続けて紹介する「二話一類」のためだろう、と国文学者の国東文麿先生が書いておられた。

すなわち、前の話が薬の話だから、この話が続けてとりあげられたのである。

前の話はこちら。

巻四第三十一話 王の殺意から逃れた名医の話
巻4第31話 天竺国王服乳成嗔擬殺耆婆語 第卅一今は昔、インドに国王がありました。心はねじ曲がっていたし、いつもうとうとして、眠ってばかりいました。まるで寝ることが仕事のようでした。こんな人はそうはいません。大臣や公卿は「これは病だ。だから

二話一類に関してはここでも説明されている。

巻七第二話 死者の右手が光を放ち、蘇生した話
巻7第2話 唐高宗代書生書写大般若経語 第二(巻七第二話 閻魔大王の裁きを待つ書記生の右手が写経の功徳で大光明を放ち、蘇生を許された話)今は昔、震旦の唐の高宗の治世、乾封元年に、ひとりの書生がおりました。重病にかかってたちまち絶命しましたが

阿竭陀薬とは不老不死の薬だそうだ。
こういう薬は今もないですね。

この次の話も「信じるって大事だよ」がテーマで、二話一類が貫かれている。

なお、この話の原文には空白がある。『今昔物語集』は話を先に記しておいて後から固有名詞などを書き入れることが多かったので、空白がけっこうあるのだ。現代語訳はあらかじめ空白はないものとして訳出した。

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