巻5第26話 天竺林中盲象為母致孝語 第廿六
今は昔、天竺の林に、目の見えない母象と子象が住んでいました。子象は木の実や果物などを集めたり、清水をくんできたりして、盲目の母象を養っていました。
ある日、ひとりの人が林の中で道を見失い、出ることができず、悲しみ嘆いていました。象の子はこの人が迷っているのを見て、あわれみの心を起こし、道を教えてやりました。ぶじに山を出て家に帰ることができて、その人はとても喜びました。
国王に申し上げました。
「私は香象(発情期の象はよい香りがすると伝えられる)の住む林を知っています。世にふたつとない、見たこともない素晴らしい象です。すみやかにこれをとらえるべきでしょう」
国王はこれを聞くと、みずから軍をひきいて、この林に向かいました。象のことを伝えた人を案内に、象のいる場所に向かい、象を狩りました。
そのとき、男の二つの臂(ひじ)が折れ、地に落ちました。まるで人が切り落としたようでした。王はこれを見て、驚き怪しみましたが、それでも子象をとらえて王宮に連れて帰り、つなぎました。
とられられてから、象は水を飲まず、草を食べませんでした。厩の者は、これを怪しみ、王に報告しました。
「象は水も飲みませんし、草も食べません」
国王はみずから象のところに行き、問いました。
「おまえはなぜ、飲まず、食べないのだ」
象は答えました。
「私の母は目が見えないため、歩くことができません。長いこと私が養うことで命をたもっていました。しかし、このように捕らえられたとなれば、母は養う者を失い、餓えることでしょう。このことを考えると、悲しくてなりません。どうして自分だけが飲むことや食べることができるでしょう」
これを聞くと、国王はあわれみの心を発し、象を逃がしました。象はおおいに喜び、林に帰りました。
その子象とは、釈迦仏の前世です。(釈迦が悟りを開いた)尼連禅那河(にれんぜんなが、ニーランジャナー川)の菩提樹の東に、広大な林があり、その中に卒都婆(そとば、塔)が建てられています。盲象が住んでいるのは、その北にある池のほとりだと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】
西村由紀子
【校正】
西村由紀子・草野真一
【協力】
草野真一
【解説】
西村由紀子
『大唐西域記』より得た話。ニーランジャナー川はガンジス川の支流で、河畔の菩提樹下で釈尊が成道した(悟りを開いた)ことで知られる。
日本だと殿様は名馬を持つが、インドではよい象を持つことが権力の象徴だったことがわかる。

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