巻30第3話 近江守娘通浄蔵大徳語 第三
今は昔、近江(滋賀県琵琶湖周辺)の守□□という人がありました。家は豊かで、子が多くあった中に、娘がひとりありました。
まだ少女のうちから、姿かたちが美しく、髪が長く、有様がすばらしかったので、父母は彼女を深く愛し、片時も目を離すことなく育てました。高貴な皇子・上達部(かんだちめ、高位の役人)などが求婚しましたが、父の守は立場もわきまえず、「天皇にさしあげたい」と考え、聟をとりませんでした。
やがて、娘は、物の怪につかれ、毎日を病床で過ごすことが多くなりました。父母はこれをなげき心配し、祈祷をさせましたが効果はありませんでした。
そのころ、浄蔵大徳という験(しるし)あらたかな僧がありました。仏のような霊験を示すと評判で、世の人は浄蔵をとても貴んでいました。
近江守は浄蔵を呼び、娘の病を加持祈祷させることにしました。やがて浄蔵がやってきました、守は浄蔵が来たことをとても喜びました。浄蔵の加持によって、物の怪は失せ、病は快癒しました。父母は強く言いました。
「しばらくこちらにいらして祈祷してください」
浄蔵はこれにしたがって守の家にとどまりましたが、このとき浄蔵はこの娘を見てしまいました。浄蔵はたちまちに愛欲の心をおこし、他のことが考えられなくなりました。娘もそれを知ってしまったのでしょう、何日かたつうちに、二人は結ばれてしまいました。
このことを隠そうとしましたが、世の人の知るところとなり、人々の噂になりました。世に知られてしまったことを恥じたのでしょう、浄蔵はこの家に行くことはなくなりました。
「私は破戒の僧だといわれている。とても世にまじわることはできない」
浄蔵はそう考えて、ゆくえをくらましてしまいました。後悔していたのでしょう。
浄蔵は鞍馬山(京都市左京区)深くに籠居して、修行の日々を送っていました。しかし、前生の縁が深かったのでしょう、いつもあの病者のありさまが思い出されて、心にかかり恋しく思っていました。
修行に身が入らず寝転んでいたとき、ふと起き上がって見ると、そばに文(手紙)がありました。弟子に「これは誰の文だ」と問いましたが、知らぬと言います。浄蔵が文をとって開いてみると、いとしいあの人の文字でした。不思議に思って読んでみると、こう書いてありました。
すみぞめのくらまの山にいる人はたどるたどるもかへりきななむ
(鞍馬山にこもって修行なさっている方よ。暗い道をたどり、どうか私の元に帰ってきてください)
浄蔵はこれを怪しく思いました。
「この文を書いたのは誰だ。どうやって持ってきたのだ。不思議なことだ。この文にまどわされず、修行を続けるべきだ」
しかし、愛欲の思いに勝つことができず、その夜、忍んで都に出て、かの病者の家に行き、「こういうことがありました」と言いました。娘は部屋に招きいれました。浄蔵は夜のうちに鞍馬に戻りました。
浄蔵はさらに恋しく思い、こんな文をとどけました。
からくしておもひわするるこひしさをうたてなきつるうぐひすのこゑ
(修行して恋しさを忘れようとしていたのに、鶯の声に呼び覚まされました)
女は返事しました。
さてもきみわすれけりかしうぐひすのなくをりのみやおもひいづべき
(私を忘れてしまったのですか、鶯の声を聞いて思い出すなんて)
浄蔵がこれに答えます。
わがためにつらき人をばおきながらなにのつみなきよをうらむらむ
(つれない人よ、私をうらまないでください。私は何の罪もありません)
こうしたやりとりがたびたび交わされました。このことはふたたび世に知られました。
近江守は娘を大切にして、皇子や上達部の求婚にも答えず、「女御(にょうご、後宮に入る)にしよう」と思っていましたが、このことがあったので、娘の面倒を見ることもやめてしまいました。
「これは女が悪いのだ。浄蔵が言い寄っても、女が受けつけなければこんなことにはならなかった。女は自分で破局を呼びよせたのだ」
世の人はそう言い合ったと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 葵ゆり
【校正】 葵ゆり・草野真一
【協力】 草野真一
【解説】葵ゆり
浄蔵は祈祷で名高く、平将門の怨霊の調伏にあたったことで知られる。
平安時代、病は物の怪の仕業だと考えられていたので、治癒は僧などの祈祷によるのが通例だった。『源氏物語』にも、主人公の光源氏が病を得たので高名な祈祷師のもとに出向くさまが描写されている。
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