巻三十第二話 男(平中)が来ないので尼になった女の話

巻三十

巻30第2話 会平定文女出家語 第二

今は昔、平定文という人がありました。字を平中といいます。たいへんな色好み(女好き)でした。もっとも熱中していたころ、市に出かけました。すこし前まで、女は市で見つけるものだったのです。

ある日、后の宮の女房たちが市に出たとき、平中はこれを見て、色好みを起こして仮借(けそう)しました。家に帰った後、平中は消息(手紙)を送りました。女房たちは「車の中に女房は大勢いました。誰にあてた手紙ですか」と問うたので、平中はこう書きました。

ももしきのたもとのかずはみしかどもなかにおもひの色ぞ恋ひしき

(美しいたもとの女房がたはおおぜい見ましたが、中でも濃い色(緋色)の方を思っています)

これは武蔵守□□という人の娘です。この人は、色の濃い練(ねり、練衣)を着ていました。平中が言い寄ったのはこの人でした。武蔵は返事をして、ふたりは文を交わすようになりました。

武蔵は、すがたかたち・ありさまがとても美しい、若い女性でした。身分の高い方が何人も声をかけたのですが、望みが高かったので男を寄せ付けませんでした。しかし、平中は強く言い寄ったので、女もその思いに負け、忍んで会うようになったのです。

ある朝、平中が帰ったあと、手紙が来なかったので、女は心苦しく思いました。夕方まで待ちましたが、本人はもちろん手紙も来ません。女は思い悩み、一睡もせず待ちましたが、手紙はありませんでした。その夜も来なかったので、翌朝、女中たちが言いました。
「色好みで名高い人なのに、会って肌を許すとは。理由があって来られないにしても、手紙さえくれないなんて」
女は自分でも思っていたことを人に言われたので、「つらい、恥ずかしい」と思って泣きました。

その夜も「もしかしたら来るかもしれない」と思って待ちましたが、来ませんでした。翌日も使いの者さえ現れません。五、六日が過ぎました。女は泣きに泣いて、物も食べませんでした。女中たちも歎き、言いました。
「人に知られないうちに、この関係を解消なさい。といって、女が一人でいるわけにもいかないでしょうから、誰か別の人を見つけてください」
これを聞くと、女は人にも知らせず、髪を落として尼になってしまいました。

女中はこれを見て、集って泣き迷いましたが、どうにもなりませんでした。
「つらくて仕方ないので、死のうと考えました。死ねないので、髪を落としました。もう言わないでください」
尼は言いました。

平中が久しく音信不通だったのは、女に会った朝、「手紙を書こう」としたときに、亭子の院(宇多上皇)から「急ぎ参れ」と召されたからでした。平中は院の殿上人としてお仕えしていたのです。すべてを棄てて急ぎ参上すると、大井(大堰川、桂川上流)にいらっしゃるといいます。そこに五、六日おりました。
「女はきっとさみしく思っているだろう」と、心苦しく思いましたが、「すぐに帰られるだろう」と思っていました。ところが、「もう一日、もう一日」とおっしゃって滞在を延ばし、五、六日もたってしまったのです。ようやく家に戻ってきて、「女の所に早く行って、申し開きをしよう」と思っていると、人が来て、「この手紙をお読みください」と言いました。女の乳母子でした。

宇多天皇自筆周易抄(部分)

これを見ると、胸がつぶれそうになりました。「入ってください」といって手紙を見ると、かぐわしい紙に髪をまるくして包んでありました。手紙にはこうありました。

あまのがはよそなるものとききしかどわがめのまへのなみだなりけり

(尼になることなど、あの天の川のように、かかわりのないことだと思っていたのに、私の目に川のように涙が流れています)

平中はこれを見て、目の前が真っ暗になり、心を失いました。使者に様子を聞くと、涙ながらに答えました。
「すでに髪を落としてしまわれました。女中たちも泣きました。私も、『あの美しい髪が』と思うと、私もとても胸が痛みます」
平中はこれを聞くと、涙が落ちて、(髪の入った)包みを開くこともできませんでした。
とはいえ、そのままにしておくこともできません。泣きながら返事をしたためました。

世をわぶるなみだながれてはやくともあまのがはやはながるべからむ

(涙がどんなに早く流れたとしても、天の川ほど早くとなって流れることはないでしょう。天の川の流れのように早く、髪を落としてしまわれるとは)

「とても驚きました。ものを思うこともできません。これから参ります」
そう伝えました。

平中はその後すぐにたずねていきましたが、尼は塗籠(ぬりごめ、部屋)に閉じ籠もり、何も言おうとしませんでした。平中は女中たちに泣く泣く語りました。
「来られない理由も知らずに、尼になってしまうなんて」

これも、男の愛情が足りなかったからこそ起こったことです。なにがあっても、「こういう理由で行けない」と言ってやれば、女は安心するのに、それも伝えずに五、六日も過ぎれば、女が思い悩むのは当然でしょう。
もっとも、女が出家したのは、前世の因果でもあると、語り伝えられています。

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土佐光起筆『源氏物語画帖』より「若紫」

【原文】

巻30第2話 会平定文女出家語 第二
底本頭注「□ハ市トアルベシ下同ジ」

【翻訳】 葵ゆり

【校正】 葵ゆり・草野真一

【協力】 草野真一

巻三十
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