巻三十第九話 年老いた叔母を山に棄てる話

巻三十(全)

巻30第9話 信濃国姨母棄山語 第九

今は昔、信濃の国更科(長野県長野市)に住む者がありました。

年老いた姨母(をば、叔母)を家に住ませて、親のように養い、年来いっしょに暮らしていましたが、だんだん厭わしく思うようになりました。嫁はまるで姑のようだと感じ、年老いて腰が曲がってくるのを、とても嫌っていました。妻は常に夫にこの姨母の心の□□悪いことを報告していましたので、夫はわずらわしく思い、心ならずも不快に思うことも増えてきました。姨母はますます老い、腰も二重になってきました。妻はいよいよこれを嫌い、「どうして死なないんだろう」と思い、夫に言いました。
「姨母の心はたいへん悪いので、深い山に棄ててきてください」
夫はそれを嫌がっていましたが、ある日、妻が強く責め言うことがありました。夫は「棄てよう」と意志をかため、八月の十五夜、月のとても明るい夜に言いました。
「姨母さん、いらっしゃってください。寺でとても貴い法事があるそうです。見せたいと思っています」
姨母は答えました。
「すばらしいですね。詣でましょう」
男は、姨母を背負い、もともと高い山のふもとに住んでいたのですが、はるかな山の峰へ登りました。姨母が下れないようなところに着くと、姨母を背からおろし、逃げて帰りました。姨母は「をいをい」と叫びましたが、男はそれには答えず、逃げました。

戻って思いました。妻に責められ、このように山に棄てたけれども、長く親のように養い、ともに暮らしてきた。それがとても悲しい。
山の上から、明るい月の光がさしてきました。終夜眠ることができず、恋しく悲しく思って、ひとりごとのように言いました。

わがこころなぐさめかねつさらしなやをばすてやまにてるつきをみて

(心をなぐさめることはできない。更級のおばすて山の上に照りわたるあの月を見ては)

山の峰にのぼり、姨母を迎えて連れ帰り、もとのように養いました。

あたらしい妻の言にしたがって、悪い心を起こしてはなりません。(これは古い話ですが)今でもこんなことはあるでしょう。
その山を姨母棄山といいます。「心なぐさめがたし」とたとえに言うのは、この故事があったためです。その山は冠山とも呼びます。冠の巾子(こじ、頭頂部)に似ているからだと語り伝えられています。

【原文】

巻30第9話 信濃国姨母棄山語 第九
今昔物語集 巻30第9話 信濃国姨母棄山語 第九 今昔、信濃の国更科と云ふ所に住む者有けり。 年老たる姨母(をば)を家に居へて、祖(おや)の如くして養て、年来相副て過しけるに、其の心に此の姨母を糸厭はしく思えて、此れが姑の如にて、老屈(おひかが)まりて居たるを、極て悪

【翻訳】 葵ゆり

【校正】 葵ゆり・草野真一

【協力】 草野真一

【解説】 葵ゆり

姥捨て山伝説の話。映画化もされた深沢七郎の小説『楢山節考』ではこれが風習になっていたように描かれているが、じっさいにはそのような風習があったことはないと言われている。

『楢山節考』に親との別れを見た――老人に誇るべき死を

この話のように一家庭を単位とすることはあったかもしれないが、村をあげて集落をあげてというのは考えにくい。

冠山は冠着山(かむりきやま)と呼ばれ、『古今和歌集』にこの山と月を詠んだ歌がある。高浜虚子にも「更級や姨捨山の月ぞこれ」の句があり、「オバステ」「月」「冠着山」は三つセットで語られることが多かったようだ。

冠着橋より冠着山(姨捨山)を眺望 2012/01/06

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