巻19第7話 丹後守保昌朝臣郎等射母成鹿出家語 第七
今は昔、藤原の保昌という人がありました。武家ではありませんでしたが、勇猛な心を持ち、弓箭の道に通じていました。丹後(京都府宮津市など)の守として任についている間、朝暮に郎等(家来)や眷属(一族)とともに鹿を狩っていました。
家来がありました。名を□といいます。弓箭の腕はたいへんに優れ、長く主につかえており、信頼されていました。鹿を射ることに関しては誰より優れていました。
あるとき、山野に出て狩をすることが決まりました。狩が明後日にせまったある夜、夢を見ました。死んだ母があらわれて告げました。
「私は人だったときに悪業をおこなっていた故に、鹿の身を受け、この山に住んでいる。聞けば、明後日の狩で、私は命を落とすそうだ。多くの射手は逃げ遁れることができるが、おまえは弓箭の道を極めている。遁れることはできない。だから息子よ、大きな女鹿があらわれたならば、それは自分の母だと心得て、射てはならない。私は進んでおまえの方に逃げていく」
夢からさめて、心が騒ぎ、かぎりなく悲しく哀しく思いました。
夜が明けると、病だといつわって、主人に明日の狩の供はできないと伝えました。守はこれを許しませんでした。辞すことをたびたび申し上げましたが、承服してもらえませんでした。主人は怒りをあらわにして言いました。
「この狩は、おまえが鹿を射るさまを見たいから催すのだ。にもかかわらず、おまえはこれを辞そうとする。もし、明日の狩に来ないというならば、おまえの首をはねるぞ」
男はこれを大いに恐れました。
「たとえ狩に出ても、夢の告を破るまい。鹿が出ても決して射るまい」
その日になりました。男はいかにも気乗りしない様子で、しぶしぶ出かけました。二月の中ごろのこと(旧暦、春)でした。守が狩を命じたとき、男は七、八頭の群れに出くわしました。その中に、大きな雌鹿がありました。男は弓をひきしぼり、鐙(あぶみ)を踏み、馬を操りました。男は夢の告を忘れてしまいました。雁胯(かりまた)の矢を放つと、矢は鹿の右の腹から入り、背中まで射通しました。射られた鹿の見返した貌は母のものでした。鹿は人の言葉で「痛い」と言いました。そのとき、男は夢の告を思い出しました。悔い悲しみましたがどうしようもなく、たちまち馬から踊り落ち、泣く泣く弓箭を投げ棄てて、髻を切って法師になりました。
守はこれを見て驚き怪しみ、理由を問いました。男は夢のことや鹿を射ってしまったことを語りました。
「おまえは愚かだ。なぜそのことを狩の前に言わないのだ。それを聞いていたなら、私はおまえに狩に来いなどと言いはしない」
男はむなしく帰りました。
明くる日の暁、男はその国でも貴いと名高い山寺に入りました。道心が深く発していましたから、その後後退することもなく、聖人となり、貴く生きました。男は逆罪(とても重い罪)を犯したのですが、それが出家の機縁となることもあると語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一



【協力】ゆかり

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