巻19第10話 春宮蔵人宗正出家語 第十
今は昔、□天皇が春宮(とうぐう、皇太子)でいらっしゃるときに、蔵人(くろうど、秘書)として、宗正という者が仕えていました。若く美しく、まっすぐな心を持っていたので、春宮は親愛の情を抱き、なにかにつけてお召しになっていました。
宗正の妻は端正なすがたをして心も美しかったので、深く思って暮らしていましたが、疫病にかかってしまいました。夫は歎き悲しみ、思いを尽くて様々に祈祷させましたが、何日かして亡くなってしまいました。
夫の思いはかぎりなく深いものでしたが、そのまま遺体を置いておくわけにもいかず、棺に入れました。葬送の日までだいぶ間がありましたので、十余日家に置いておきました。夫は死んだ妻が恋しくてたまらず、思い悩んだあげく、棺を開けてのぞいてみました。
長く美しい髪は抜け落ち、枕上に散乱していました。愛らしかった目は木の節の穴のように、うつろ(空洞)になっていました(骸骨がむきだしになっていた)。身体の色は黄黒骸に変じ、恐し気でした。鼻柱は倒れ、ふたつの大きな穴が開いていました。唇は薄紙のようになって、縮まっていて、歯だけが白く上下が食い合せられて、すべての歯が見えました。あさましく恐ろしく思って、棺を閉じて離れました。悪臭は口鼻に入るようで、とても臭い匂いがして、息が詰まるようでした。
この恐ろしい顔を忘れることができず、そのことで深く道心を発しました。
「多武峰の増賀聖人こそ、やんごとなき聖人である」
そう聞きましたので、「その人の弟子になろう」と考え、現世の生活をすべて棄てて、ひそかに出立しようとしました。
しかし、四歳の娘がありました。死んだ妻の子です。すがたが美しく、とてもかわいがっていました。母が死んだ後は寝るときも決して離れませんでした。子を乳母にあずけ、誰にも知らせずに早朝のうちに多武の峰に行こうとすると、小さいながら感づいたのでしょうか、
「父上は私を棄てて、どこに行こうとしているのですか」と言って、袖を引いて泣きました。なんとかなだめ、寝かしつけて、ひそかに家を出ました。
道すがら、我が身をひっぱる児のありさまを思い、泣き声が聞こえてくるようで、心にかかり、悲しく堪え難く思えましたが、道心(仏道に入る心)が固まっておりましたので、
「留まるわけにはいかないのだ」と念じて、多武の峰で髻(もとどり)を落とし法師となりました。
増賀聖の弟子としてきびしく修行をおこなっているとき、春宮がこれを聞いて、とてもあわれに思い、和歌を詠んで使わしてくれました。
入道(出家した宗正)は、これを見てとても悲しく思い、涙しました。師の聖人はこれを見て、「入道が泣いているのは、道心を発したからだろう」と貴く思いました。
「何を泣いているのか」
師がそうたずねると、入道は答えました。
「宮様からお手紙をいただきました。出家した身ではございますが、さすがに悲しく思います」
聖人は目を鋺(かなまり、金属の椀)のようにして言いました。
「春宮から手紙をもらったら仏になれるのか。そんなことを思って頭を剃ったのか。誰もおまえに出家しろと命じたわけではない。出ていけ。すみやかに春宮に行き、参ればいい」
ひどく罵倒され追い出されました。入道は出ていって、近くの房に行ってしばらく過ごし、聖人の腹がおさまったころに戻りました。
聖人はとても立腹するのが早い人でした。また、冷めるのも早い人でした。きびしく、まっすぐな人でした。
入道はその後、道心を失うことなく、ねんごろに修行しました。たいへん心の強い人であると、世の人は褒め貴んだと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
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