巻19第12話 於鎮西武蔵寺翁出家語 第十二
今は昔、仏道を修行するため、諸国を旅する僧がありました。鎮西(九州)を流浪しているとき、□国の□坂という所に、道祖神(さいのかみ)がありました。僧はその道祖神の祠のあたりで宿をとりました(野宿)。
夜になり、休んでいると、すでに人が寝入ったであろう時間に、馬の足音がきこえました。何頭かあるようです。多くの人が通り過ぎていくなと思っていると、「道祖神はいらっしゃいますか」と問う声がありました。僧はたいへん怪しく思いました。
「これは希有の事だ。問いかけているのは人だろうか」
すると、祠の中から答える声がしました。
「いる」
僧はこれを聞いて、いよいよ不思議だと思いました。
「明日は武蔵寺にお参りされますか」
祠の声が答えました。
「そんな予定はない。何があるのか」
「明日、武蔵寺に、新しい仏が出で給います。梵天・帝釈・四天王・龍神八部(いずれも仏法の守護神)、みなが集まり給います。知りませんか」
「そんな話は聞いていない。教えてくれてうれしい。どうして参らないはずがあろうか。必ず行く」
「明日の巳時(午前十時)ごろです。必ずいらっしゃってください。お待ちしています」
声はそう告げて、立ち去りました。
僧はこれを聞いて、「これは鬼神の言葉だったか」と気づいて、恐しく思いましたが、無事を念じて過ごすうち、夜が明けました。
僧はその日、別の土地へ行くつもりでした。しかし、「これを見てから立とう」と考え、明るくなるやいなや出立しました。武蔵寺は遠くない場所です。参ってみましたが、とくに変わった様子はありません。とても静かで、人は一人もいないようでした。しかし、「しばらくはここにいよう」と考え、仏の御前で待っていました。巳時を過ぎて、午時(正午)になろうとしていました。
「何があるんだろう」
そう思って見回すと、年齢七、八十歳ほどの翁(老人)で、黒い髪はなく、白い髪がところどころ残っている人がやってきました。袋のような烏帽子をかぶり、もともと小さかっただろう人が、腰が曲がってさらに小さくなって、杖をついています。後ろに、尼がしたがって、黒い桶に、何か物を入れて、臂(ひじ)にたずさえていました。
御堂に参り、翁は仏の御前で二、三度許礼拝して、大きく長い木蓮子の念珠を押しもんでいました。尼は持ってきた小桶を翁のわきに置き、「御房(住持)を呼んできます」と言って立ち去りました。
しばらくすると、六十歳ほどの僧がやってきました。仏を礼して、御前にかしこまりつつ問いました。
「どういうわけで私を呼んだのですか」
「今日、明日とも知れぬ身になりました。この少しばかり残った白髪を剃り、仏の弟子になろうと思ってきました」
御房はこれを聞くと、目を押しのごいつつ言いました。
「たいへん貴いことです。では、さっそく」
尼の小桶には、湯が入っていました。その湯で翁の頭を洗い、剃りました。翁は御房より戒を受け、仏を礼拝し、去りました。その後は何もありませんでした。
僧は思いました。
「この翁が出家することをよろこび、天衆地類(天神神祇)が集まったのだ。鬼神が新しい仏が出ると道祖に告げたのは、このことだったのだ」
すばらしく貴いことだと思って去りました。
出家の功徳はあらためて申すまでもありませんが、年老い、今日明日をも知れぬ翁の出家さえ、天衆地類は喜び給うたのです。若くさかんな人が、強く道心を発して出家することの功徳を押し量るべきです。これを聞いた人は、すべてを棄てて出家すべきであると語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
宇治拾遺物語に同じ話がある。
道祖神については、柳田國男が『石神問答』ほかで幾度となく題材としている。村はずれにつくられることが多く、異界の入り口とされていた。飛鳥の石造物は仏教渡来以前の信仰を表したものとされているが、道祖神と伝えられるものもある。淫猥なものも多く、明治になって国家神道が形成された際、廃絶されたものも少なくない。
舞台となった福岡県には熊野道祖神社がある。


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