巻十九第九話② 若君の死(出家した侍②)

巻十九

より続く)

巻19第9話 依小児破硯侍出家語 第九

若君が乳母の家に行き着いて見ると、とても荒れた狭い小宅でした。感じたことのない心地で、おそろしく心細くすごしました。夕暮れ、若君は心苦しげな様子で、独り言に詠みました。

こころからあれたるやどにたびねして思ひもかけぬ物思ひこそすれ
(自ら招いたことではあるが、荒れ宿に住まいするとは、つらいことだ)

その様子を見る乳母の心を思ってみてください。若君はたいへん心やさしい人でしたから、屋敷につかえる人も、みな泣きながら参り、忍んで訪ねました。とりわけ、若君につかえていた侍たちは、お互いに言い合わせて、宿直(夜警)に行きました。

三、四日後、若君は体を悪くして発熱し、寝込みました。さらに三、四日で重態となり、高熱を発しました。乳母は奥方にこれを申しあげると、奥方はとても驚いて、大臣に伝えました。
「児はこの三、四日、高熱で苦しんでいるそうです」
大臣は歎くこともなく答えました。
「あのような者は生きていても仕方がない。病で死んだならよいことだ」
奥方は歎き悲しみ、行って顔を見たく思いましたが、大臣の怒りがおさまっておりません。女の身の悲しさ、心に任せて会いに行くことはできませんでした。手紙を書き、乳母のもとに遣ると、伏せった若君は臥したまま乳母が手紙を読むのを聞きました。

やがて七日ほど経ちました。物忌み(謹慎)が厳しくなって、人も通わなくなりました。ある日の亥時(午後十時)ごろ、若君は危篤に陥りました。物忌みが強固だったために、これを報告する者もありませんでした。寅の時(午前四時)ごろ、「今は物忌みも解けた」と考え(日付が変わった)、乳母は奥方に手紙を出しました。若君の病がひどくなり、危篤であることを書いて遣りました。若君も父母をたいへん恋しがっていましたが、はばかって会いたいとは言わなかったようです。乳母は悲しくて仕方ありませんでした。

若君は苦しい中、独言しました。

あけぬなるとりのなくなくまどろまでこはかくこそとしるらめやきみ
(私は父上母上を慕って夜明けの鳥のようにないています)

乳母はやるせなく思いながら、それを手紙に書いて送りました。

奥方はこれを見て、前の手紙と合わせて二通、泣きながら大臣に読み聞かせました。大臣ももちろん子を愛しておりました。
「大したことはないと思っていたのだが、たいへんなことになっている。悲しいことだ。すぐにでも行こう」
奥方とともに一つの車に乗りました。乳母の家は賤しいところなので、忍んで泣きながら参りました。車から下り、近寄ってみれば、若君は聞いていたよりずっと悪く、臥していました。

「百千の金銀の硯など、なんだろう。硯を大事に思うあまり、腹立ちまぎれに追い出してしまった。なんと哀れで、悲しいことだろう。私は何に狂って子を追い出してしまったのだろう」
悔い悲しみ、こう言いました。

むつごともなににかはせむくやしきはこのよにかかるわかれ成けり
(日頃かわした語らいも何になるだろう。この世でこんな別れをしなければならないとはなんと悔しいことだろう)

すでに何も考えることができなくなっている若君の耳に顔をあて、泣きながら言いました。
「君は私をひどい親だと思っているだろう」
若君は息も絶え絶えになりながら言いました。
「そんなふうに思うことはありません」
大臣は言うこともなく、声を出すこともはばからず大声で泣きました。しかし、どうしようもありません。若君は最期に、

たらちねのいとひしときにきえなましやがてわかれのみちとしりせば
(硯を割ったときに死んでしまえばよかった。このまま親との別れになるならば)

と詠み、苦しそうにして、弥陀の念仏を十度ほど、声をあげて唱えて亡くなりました。

雄勝硯(宮城県)

父母の心のほどはとても言い尽くすことはできません。御髪のとても長いのを身にかきそえ、かわいらしい顔のまま、何も思うことなく横たわっている子を、父母と乳母、心を惑わせ悲しみました。その後、決められたとおりに棺に納めました。乳母の家は適さないので、父の屋敷に運び、仏事などが行われました。

二十一日が過ぎたころ、しばらく顔を見せなかった例の掃除の男が参りました。見れば、喪服をまとっています。大臣は不思議に思って問いました。
「おまえの親が死んだわけでもないのに、なぜそのような服を着ているのか」
男は平伏してうつぶせのまま泣きました。大臣はいよいよ怪しんで問いました。
「何があったのか」
「若君の御服をつけているのです」
「それはどういうことか。なぜおまえが(親族でもないのに)黒い服をまとう必要がある」
男は泣きながら答えました。
「私は硯を『たいへんに美しい』と聞いて、見てみたく思い、掃除の際に、ひそかに取り出しました。そのとき、落として割ってしまったのです。若君はそれをご覧になっていて、私が歎き悲しんでいる様子を見て言いました。『これは私が割ったことにせよ。おまえが硯を大事に思っているのはわかっている。私が割ったことにすれば、大したおとがめはないだろう。しかし、おまえが割ったといえば、必ず咎(とが)があるだろう』。若君がそうおっしゃったので、恐れながら、罪を逃れるために『若君が割った』と申し上げました。若君がその咎を受けただけでも歎かわしいことなのに、程無くしてお亡くなりになりました。哀れに悲しく思いましたが、そのことを今更申し上げるのも愚と考えました。ただ私にできることをしたいと思い、このような服をつけているのです」

なみだがはあらへどおちずはかなくて硯のゆへにそめし衣は
(私が硯を割ったばかりに若君は亡くなりました。墨染の衣は、涙で洗っても落ちることはありません)

泣きながらそう言いました。

大臣はこれを聞いて、いよいよ歎き悲しみました。奥方に泣きながら伝えました。
「子はあやまちを犯してはいなかったのだ。こういうことだったのだ」
奥方の歎きはどれほどだったでしょう。大臣は言いました。
「あの子はただの人ではなかったのだ。なのに私は咎を押しつけてしまった」
歎き悔いました。乳母もこれを聞き、悲しく哀れに思いました。

その後、男は姿が見えなくなり、行方もわからなくなりました。父母はもちろん家の者も彼を探しましたが、見つけることはできませんでした。侍の障子(部屋の仕切り)にこうありました。

むまたまのかみをたむけてわかれぢにおくれじとこそおもひたちぬれ
(黒い髪を落とし、若君に手向けて冥途の旅路に出ようと思いました)

髻を切り、法師(僧)になって、修行に出たのでしょう。あわれを知る男でした。これを聞いて、父母も乳母も歎き恋いました。

父母・乳母などは出家することはありませんでした。この男は、若君に受けた恩を報ずるために出家し、ひたすらに仏道を修行して、若君の後世をとむらいました。そう語り伝えられています。

雄勝硯

【原文】

巻19第9話 依小児破硯侍出家語 第九
今昔物語集 巻19第9話 依小児破硯侍出家語 第九 今昔、村上の天皇の御代に、小一条院の左大臣と云ふ人御けり。名をば師尹とぞ申ける。貞信公と申ける関白の五郎の男子にてなむ御ける。極て愛し傅き給ける娘、一人御けり。形ち端正にして、心に愛敬有けり。然れば、父母、此れを悲び給ふ事限無し。

【翻訳】 草野真一

【解説】 草野真一

巻十九は出家話のコレクションである。さまざまな出家のかたちが語られる。

「出家」という制度は、新興宗教は別として、伝統仏教では完全に失われていると断じてよいのではないか。

出家とは文字どおり家庭を出ることだ。妻子に会うことは許されず、未だ家庭を持っていないなら妻帯することもできない。セックスは許されない。すなわち出家とは、子孫を残す=生物の至上原理を捨て去ることを意味していた。(まさしく人間だけにできる行いである)

また、社会生活も捨て去ることでもあった。出家は働いてはならない。食は乞食(こつじき、托鉢)によって得る。出家者は、社会の歯車であることができないのだ。

これは現在の伝統仏教から失われている側面ではないかな、と思っている。
(僧侶の方の御意見お待ちします)

なお、『新日本古典文学大系36 今昔物語集4』(岩波書店)の解説によれば、侍(使用人)が歌を詠めたとは考えにくく、それゆえこの話は虚構の可能性が高いとのことである。

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巻十九
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