巻17第20話 播磨国公真依地蔵助得活語 第二十
今は昔、播磨の国印南の郡(兵庫県高砂市)歌見の浦というところに、極楽寺という寺がありました。その寺に公真という僧がありました。公真は三尺(約90センチ)の彩色の地蔵菩薩像をつくり、寺に安置し、日夜恭敬して、怠ることがありませんでした。
その理由をたずねました。公真は以前、身に重き病を得てわずらい、眠るように息絶えたことがあったそうです。
公真はひとり冥途に行き、閻魔の庁に至りました。見回すと、千万の人が責めさいなまれ、泣き叫んでいます。その声は雷の響きのようでした。公真は何もかもわからなくなって、考えることもできませんでした。
そのとき、一人の美しい小僧が、罪人たちの中にあって、門外を走りまわっていました。公真は近くにいた人に、おずおず問いました。
「あの小僧は誰ですか」
「地蔵菩薩です」
公真はこれを聞くと、小僧の前に進み出て、ひざまずいて言いました。
「私は思いもよらずここに来ました。地蔵菩薩よ、願わくは、大悲の誓願によって私をお助けください。あなたの利益方便によらないでは、私は帰ることができません」
小僧は公真の両手を握りつつ答えました。
「輪廻生死の罪である。簡単に許すことはできない。しかし、おまえの父は安芸の国の伊調の島(あきのくにのいつきのしま、広島県廿日市市厳島)の神主重正だった。彼は先年、私の形像をつくり開眼供養した。これによって、私はおまえの父の重正を引導し、浄土へみちびいた。その子をも守っている。おまえは前世の罪業に引かれ、ここに来たのだろう。しかし、私はおまえを救おうと思う」
小僧は公真を引いて、官人の前に行って訴え、みずから官舎の門外に出て、公真の頭をなでました(祝福のしぐさ)。
「おまえはすみやかに人間の世界に戻りなさい。深く心を発し、三宝(仏法僧)に帰依し、ひたすらに善を行い、悪をなさず、ふたたびここに来ないようにしなさい」
公真は生き返りました。
その後、公真は心を発し、仏師を雇い、地蔵菩薩の像をつくり、日夜朝暮に恭敬しました。
この話を聞いた人は、みな地蔵菩薩に仕えました。極楽寺にある地蔵菩薩像の由来です。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
神社に仏像をまつるのは現在ではあり得ないことだが、明治の神仏分離にはじまる新しい慣習(政策)で、平安時代には当たり前におこなわれていたことがわかる。
厳島神社は瀬戸内海に面し、交易の利便性が高かったことから、古くから尊崇されていた。現在に近いかたちをとったのは平清盛だが、神社は清盛よりずっと古い時代から存在している。
『今昔物語集』は清盛より古い時代に成立しているため、彼に関する記述はないが、権力者でもあり僧侶でもある彼は、仏教説話集と歴史書、双方の側面をもつ『今昔』の格好の素材だったにちがいない。
由緒ただしい厳島神社に仏像が祀ってあっても、誰も疑問に思わなかった。神仏習合はきわめて自然におこなわれていたのだ。
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