巻17第23話 依地蔵助活人造六地蔵語 第廿三
今は昔、周防の国(すおうのくに、山口県防府市)の一の宮(その地でもっとも格式の高い神社)に、玉祖の大明神という神社がありました。そこの宮司で、玉祖の惟高という人がありました。宮司の子孫ではありましたが、少年のころから三宝(仏法僧)に帰依する志があつく、中でも地蔵菩薩は日夜念じており、起きているときも眠っているときも、怠ることはありませんでした。
長徳四年(西暦998年)四月(旧暦)、惟高は身に病を得て、六、七日わずらったのち、命を落としました。たちまち冥途に赴くことになりました。
広い野に出て道に迷い、東西さえわからず涙を流して泣き悲しんでいると、六人の小僧がやってきました。みな端厳で美しい姿をしていました。一人は手に香炉を持ち、一人は合掌し、一人は宝珠を持ち、一人は錫杖を持ち、一人は花筥を持ち、一人は念珠を持っていました。
香炉を持った小僧が惟高に告げました。
「私たちが誰か知っているか」
「わかりません」
「私たちは六地蔵である。六道(解説参照)の衆生のために、六種の形を現している。おまえは神官の子孫ではあるが、年来、私の誓を信じ、ねんごろにつとめた。すぐに元の国に戻り、地蔵の六体の形を顕わしつくり、心を至して恭敬せよ。私たちは、南方にある」
その言葉を聞いたとき、すでに死後三日がたっていました。
惟高は起き上がり、親族にこのことを語りました。聞く人はみな涙を流して喜び悲しみ貴びました。
その後、惟高は三間(約5.5メートル)四面の草堂をつくり、六地蔵の等身の彩色の像をに安置し、法会をひらき、開眼供養しました。その寺の名を「六地蔵堂」と呼びます。この六地蔵の形は、彼が冥途で見たものでした。遠くからも近くからも道俗男女が来て、数え切れないほど多くの人が供養し結縁しました。
惟高はいよいよ専心して、日夜、地蔵菩薩を礼拝恭敬しました。
惟高は七十歳をすぎたころ、髪を剃り、出家入道しました。世路を棄て、ただ極楽を願いました。命終る時には、口に弥陀の宝号を唱え、心に地蔵の本誓を念じて、西に向って端坐して逝きました。これを聞いた人は、みな涙を流してたっとびました。
そのころ、参河(みかわ)入道寂照(大江定基の法名、三河守だったためこう呼ばれている)という人がありました。道心堅固にして、世を棄てた人でした。その人の夢に、惟高入道が往生するさまがあらわれました。寂照はこれを人々に告げました。人々はこれを聞き、「疑いなき往生である」と語り合いました。
社司の身ですから、供物として捧げられたものを犯すこともあったことでしょう。しかし彼は地蔵の悲願によって、ついに往生を遂げました。ひたすらに地蔵菩薩を念じ奉るべきだと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
「地蔵が助けてくれて冥途からよみがえった」という話は『今昔物語集』にたくさんあるが、この話は地蔵が六人組のグループ(六地蔵)で登場するめずらしいパターン。持ち物でキャラクターの差異も描かれている。
地蔵が六人いるのは六道に対応しているためだ。六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つの世界をさす。これらの世界は死があり、輪廻があり、したがって苦がある。地蔵菩薩はこれを救済するとされる。
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