巻17第7話 依地蔵菩薩教始播磨国清水寺語 第七
今は昔、近江国志賀郡に崇福寺という寺がありました。蔵明という僧が住んでいました。慈悲忍辱で、広い施しの心を持っていました。しかし、貯えがまったくなく、とても貧しい暮らしをしていました。深い施しの心があっても、貯えがなかったので、思うままにならないことも多くありました。ただ、地蔵の名号を念ずるほか、できることもなかったのです。世の人は蔵明を「地蔵聖」と呼びました。
ある日、蔵明の夢に現れる人があり、告げました。
「すみやかに播磨の国に行け。国の東北に、深い山がある。その山の頂に勝地(霊験ある優れた地)があるから、そこに行って住むとよい」
蔵明は、夢のお告げのとおり、播磨国に行き、勝地に庵室をつくり、居住しました。数年間、そこで勤め暮らしていましたが、国の人はそれを知りませんでした。
ある日、蔵明の夢に小僧があらわれました。とても美しい人でした。左手に宝珠をもって、蔵明のほうに歩いてきます。
「今生おまえが貧しいのは、宿業が拙いせいだ。しかし、おまえは熱心に私を念じた。私はおまえにこの宝珠を与えよう。これをもっていれば、おまえの施しの心は遂げられるだろう」
蔵明は夢で思いました。
「私の本尊、地蔵が来てくれた」
地にひざまずき、涙ながらに宝珠を受け取ったところで、目が覚めました。
目覚めて、涙を流して喜びました。その後、いよいよ発心して地蔵菩薩を念じました。これが諸の人の知るところとなり、蔵明にはいつか、多くの弟子ができました。かつて房には蔵明ひとりしかいませんでしたが、やがて多くの人でにぎわいました。
ついに堂をつくり、等身大の地蔵菩薩像を安置するようになりました。その寺の名を「清水寺」と呼んでいます。
この寺は霊験あらたかで、多くの人がやってきました。国のさまざまな人、いろいろな身分の男女が、首を低くして雲のように参り集りました。さまざまな貢ぎ物も山に満ち、置くところがないほどでした。蔵明はもともと深い施しの心を持っている人ですから、人々に乞われて多くを与えました。地蔵菩薩の利生方便(人々を活かす方策)です。
地蔵に仕えるべきです。清水寺は霊験あらたかな寺として、多くの人が詣でるところになっています。
【原文】
【翻訳】
草野真一
【解説】
草野真一
清水寺とあるのは、有名な京都のそれでなく、播州清水寺と呼ばれる寺。大寺であり、京都の清水寺とともに、西国三十三所のひとつとなっている。
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