巻17第29話 陸奥国女人依地蔵助得活語 第廿九
今は昔、陸奥国(東北地方)に恵日寺という寺がありました。入唐した興福寺の僧、得一菩薩が建てた寺です。その寺のわきに尼がありました。平の将行という人の第三の娘です。この尼は出家する前、とても美しく、柔和な心をしていました。父母は彼女に合う夫と結婚させようとしましたが、これをまったく好まず、独身のまま齢を重ねました。
ある日、この女は病を受けて、長くわずらい、亡くなりました。冥途に行き、閻魔の庁に至りました、庭中で多くの罪人が縛られ、罪の軽重を判じられていました。罪人が嘆き悲しむ声は、雷の響のようでした。これを見て聞くだけで肝が砕け心が迷い、このうえなく堪え難いものでした。
罪人の中に、一人の小僧がありました。美しい姿かたちをしていました。左手に錫杖を持ち、右手に一巻の書を持って、東奔西走して罪人を定めていました。庭にある人がこの小僧を見て言いました。
「地蔵菩薩がいらっしゃった」
女人はこれを聞くと、合掌して地にひざまずき、小僧に向かって泣く泣く三度となえました。
「南無帰命頂礼地蔵菩薩」
小僧は女人に告げました。
「汝は私を知っているか。私は三途の苦難を救う地蔵菩薩である。汝は大善根を積んでいる。私は汝を救おうと考えている」
「大悲者よ。私の命を助けください」
小僧は女人をつれて庁の前に行き向い、訴えました。
「この女人は、大きに信ある立派な者だ。女の形を受けているが(仏教では女性は男性に転生し仏となるとされた)、男婬の業はまったくない。今回は召されたけれども、即座に返し、さらに善根を積ませるのがよいだろう」
王は答えました。
「仰せのとおりにいたします」
小僧は女人とともに門外に出て、女人に言いました。
「私は一行の文を持(たも)っている。汝よ、これを受け持たないか」
「私は告を受けます。決して忘れません」
小僧は一行の文を説きました。
「人身難受。仏教難値。一心精進。不惜身命。」
(人の身を受けることは難く、仏の教えは出会い難い。ただひたすらに精進を続け、身命を惜しんではならない)
「汝は極楽に往生すべき縁がある。今、その要句を教えよう。ゆめゆめ忘れるな」
極楽の道のしるべは我が身なる心ひとつがなほきなりけり
(心が正直一途であることが極楽への道しるべとなる)
これを聞くと同時に、生き返りました。
その後、一人の僧を招き、出家しました。如蔵と名乗りました。心を一にして、地蔵菩薩を念じました。世の人はこの尼を「地蔵尼君」と呼びました。
このようにして世を過ごし、八十余歳になるころ、心を違えず、端坐して、口に念仏を唱え、心に地蔵を念じて入滅しました。これを見聞く人は、貴ばない人はなかったと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
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