巻17第33話 比叡山僧依虚空蔵助得智語 第卅三
今は昔、比叡山に若い僧がありました。出家してから、学問の志はあったのですが、遊び戯れることに夢中になり、学問することはありませんでした。わずかに法華経を受け習うばかりでした。とはいえ、まったく学ぶ気持ちが失せたわけではなかったので、常に法輪寺に詣でて、虚空蔵菩薩に祈っていました。だからといって思い立って学ぶということもありませんでしたから、なんの知識もありませんでした。
九月ごろ(旧暦、十月下旬)、法輪寺に参りました。早く帰ろうと考えていたのですが、寺の僧に友人があって、話しこんでいるうちに、日が傾きはじめました。急いで帰路につきましたが、西の京(解説参照)に至ったころ、日が暮れてしまいました。知人の家をたずねると、主人は留守でした。下女があるばかりです。
ほかの知人をたずねようと歩いていくと、唐門屋の家(唐ふうの門構えの家)がありました。その門に、袙(あこめ)を重ねて着ている美しい女が立っていました。僧は女にいいました。
「比叡山から法輪寺に詣でての帰り道です。日が暮れてしまいました。今夜だけ、この屋敷を宿にさせてくれませんか」
「ここでしばらく立ってお待ちください。聞いて参ります」
やがて、女は出てきました。
「たいへんお安い御用です。入ってください」
僧が喜んで入っていくと、放出(はなちいで、応接の間)に火をともし、案内してくれました。
見ると、四尺(約1.2メートル)の美しい屏風が立っていました(三尺の屏風より高い)。高麗端(こうらいべり)の畳(装飾のついた畳)が、二、三帖ばかり敷いてありました。袙と袴をつけた美しい女が、高坏(たかつき、高い足のついた食器)に食物を入れて持ってきました。すべて食い、酒を呑んで、手を洗っていると、内より遣戸(引き戸)が開きました。几帳が立てられていて、奥から女の声がします。
「どなた様がなぜ、この家に来たのですか」
僧は比叡山より法輪寺に参って、帰ろうとして日が暮れてしまい、宿ったことを伝えました。
「常に法輪寺にお参りなのですね。参詣の折はいつでもお立ち寄りください」
女はそう言って、遣戸を閉めました。しかし、几帳の手(横木)に当たり、きちんと閉めることはできませんでした。
夜がさらに深くなって、ふらりと外に出て、南面の蔀(しとね、雨戸)の前にたたずむと、蔀に穴があいていました。そこからのぞき見ると、主人らしき女がおりました。短い灯台を近くに寄せ、草紙を見ながら寝転んでいます。年は二十余ばかり、とても美しい女でした。紫苑色の綾の衣(秋の着物)を着て、髪は衣の裾にとどくほど長いようでした(平安時代は髪が長い女性ほど美しいとされた)。その前に几帳が立てられ、女房(身の回りの世話をする女中)が二人ほど休んでいました。そこからすこし離れたところに、女童(めのわらわ)が一人休んでいます。これは先ほど食事を運んできた者でした。部屋はきれいでまったく申し分なく、二層の棚に蒔絵の櫛の箱や硯の箱が置いてあります。火取(香炉)に空薫(そらだき)をしているのでしょう、とてもよい香りがただよってきました。
僧はこの主の女を見ると、なにもかもがわからなくなりました。
「私はどんな宿世(運命)があって、この宿に行き着き、この人を見つけたのだろう」
とてもうれしく、この思いを遂げなければ生きていることができないように感じ、人がみな寝静まったころに、「あの人も寝ているだろう」と思い、例の閉まりきっていない遣戸を開き、抜足で音をたてないように近づき、女に添い寝しました。女は深く眠っていて、まったく気づかないようでした。
えもいわれぬよい香りがしました。目をさましてやろうと思いましたが、とても心苦しく感じました。ひたすら仏を念じながら、衣を開いて懐に入ると、女は驚いて目をさましました。
「誰ですか」と言うので答えると、女は言いました。
「貴い人だと思ったから泊めたのです。このようなことをするとは、とても悔しく思います」
僧が近づいても、女は衣を身にまとい、身をゆだね、馴れ親しむことはありませんでした。
僧ははげしく辛苦悩乱しました。わきに寝ている女房たちに聞かれては恥ずかしいので、力ずくで襲おうとはしませんでした。女は言いました。
「私はあなたに従わないということではありません。私の夫は、昨年の春に亡くなりました。その後、言い寄って来る人はたくさんありましたが、『たいしたことない人とは一緒になるまい』と思って、寡婦をつらぬいていました。僧をうやまい慕い貴ぶ生活をしたいと思っていました。ですから、まったくお断りしているのではありません。あなたは、法華経を空に読む(暗記して読む)ことはできますか。貴い声ですか。そうであるならば、人には経を貴んでいると見せて、ひそかに睦みあうことができるでしょう」
「法華経は習っていますが、未だ空で読むことはできません」
「それはできないことなのですか」
「そんなことはございません。私は遊び戯れ、心を入れていないから、空で読むことができないのです」
「すみやかに山に戻って、経を空で読めるようになってから来てください。そのときにはきっと、あなたの望みどおりになります」
僧はこれを聞くと、思い詰めていたこともやめました。夜は次第に明けてきました。僧はひそかに家を後にしました。女は朝食をふるまって、僧を見送りました。
僧は比叡山に戻りました。女の気色・有様を思いだし、心に懸り忘れることができませんでした。
「早くこの経を覚えて、行って会おう」
そう思って学ぶと、二十日ほどで空で読めるようになりました。その間も女を忘れることはなかったので、常に文(手紙)を送っていました。女はその返事とともに、帷(かたびら)の布や干飯(ほしいい)などを餌袋に入れ、送ってきてくれました。
「これは私に期待してくれているということだ」
心の内でかぎりなくうれしく思っていました。
経を空で読めるようになったので、法輪寺に詣でました。帰路に女の家に行きました。以前と同じように食事をごちそうになり、家主の女に会い、話をして、次第に夜がふけてきました。僧は手を洗い、経を読みました(経を読む前はかならず手を洗う)。その声はとても貴いものでした。しかし、まったく上の空で、読んでいる気がしませんでした。
夜はさらに深くふけいり、家の者は誰もが寝静まったようでした。僧は以前のように遣戸を開けて、抜足で近づきました。気づく人はありませんでした。女の床に入っていくと、女は驚きました。
「私を待っていてくれたのだ」
そう思うと、うれしくてなりません。懐に入ろうとすると、女は衣を身に纏い、入れてはくれませんでした。
「聞きたいことがあります。それをうかがってからにいたしましょう。あなたは私が望んだとおり、法華経を空で読めるようになりました。しかし、それだけを理由にして睦まじくなってしまうと、互いに去り難く思って、やがて人目もはばからないようになるでしょう。私にとっても、普通の男の妻になるより、あなたのような僧侶といっしょになるのはよいことだと思います。しかし、あなたはたったひとつの経を空で読めるだけです。姿のとおり、立派な学生(がくしょう、仏教を学ぶ僧)になっていただけませんでしょうか。そして、公家様や宮様にも呼ばれるような方になってください。そのような方の妻でいられることは、私にとってもとても幸福なことです。出立することもなく、ただ経を空で読めるだけの人を囲っておくことは、望ましいことではありません。このように近くにいられることはとてもうれしいことですが、私はそんな人とともにありたいのです。ほんとうに私を思ってくれるなら、三年ほど山に籠もり、日夜に学問をして、学生になってください。そのときに打ち解けましょう。そうでないかぎりは、たとえ殺されるとしても一緒になることがはできません。あなたの山籠の間は手紙をお送りいたします。また、もし不具合があるならば、私からたずねましょう」
僧はこれを聞くと、もっともだと思いました。
「こう言ってくれる人のことを、慈悲なく強く当たる(強姦する)ものではない。また、私がこのように貧しいのも、この人の支援を受けて世にあるべきだということかもしれない」
深く約束して女の家を出ました。明けたので、朝食をいただいて山に帰りました。
(②に続く)
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
この話の舞台となっている西京は、京都でも荒廃した地域として知られていた。葬送地も近く、身分の高い人は決して住むことがなかった。スラムだったと言っていいだろう。
町に灯火のない時代であるから、夜になると闇に包まれる。それがスラムの真ん中なのだから、焦らずにはいられない。生きた心地がしなかっただろう。泊めてくれる家があることは地獄に仏のように感じられたにちがいない。
女の床に入ったのは、今であればレイプである。だが、平安時代の恋愛事情ではわりと普通のことだった。同宿した男が床に入って拒む権限は、基本的に女性にはなかった。ことが成らなかったのは、僧が自制したからである。女を大切に思う気持ちが強かったことがわかる。
女の家は唐風だったと記されている。そんな家が西京にあるということも、ちょっと異常なことだ。この異常さの理由が、やがて明かされる。
比叡山から法輪寺への道のりは、平安京を横切って通ることになる。決して近くはない。
【協力】ゆかり
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