巻6第11話 震旦唐虞安良兄依造釈迦像得活語 第十一
今は昔、震旦の唐の時代、幽州の漢県(漁陽県)に、虞(ぐ)の安良いう人がありました。字を族といいます。殺生を仕事として半生を過ごし、殺した生類の数は甚だ多く、数えることもできないほどでした。また、功徳をつくるということもありませんでした。
三十七歳になったとき、安良は鹿を射るため山野に出て、不慮の事故で馬から落ち、気を失って死にました。眷属(家族や親戚)などが集まり嘆きあいましたが、半日を経て生き返りました。
安良は起きあがっておおいに泣き悲しんで、大地に身を投じ、過ちを悔いました。眷属が事の次第を問いましたが、泣いて答えませんでした。しばらくして語りました。
「私が落馬して気を失ったとき、馬の頭・牛の頭の鬼があらわれて、大きな車を持って来た。『何の車だろう』と思っているうちに、私はその車に投げ入れられた。車の内は炎が燃えさかり、私の身を焼いた。堪えられない熱さだった。
閻魔王の前に連れられていったとき、一人の高貴な僧がいらっしゃった。誰かはわからなかった。閻魔王はこの僧を見ると、すぐに座をおりて、合掌恭敬して問うた。
『どうしてここにいらっしゃったのですか』
僧は答えた。
『この罪人は、私の檀越(施主)である。私はこの罪人の命を乞うために来たのだ』
『きわめて罪の重い悪人です。とても放ち返すことはできないですが、大師はわざわざここにいらっしゃいました。赦さないわけにはいきません』
私は放免された。僧は私をともなってそこを離れた。
私は歓喜の心の中に、不思議に思って問うた。
『私を助けてくれた、あなたは誰ですか』
『わからないのか。おまえの兄の安遁が、心を発して釈迦如来の像をつくったことがあった。おまえは弟だから、銭三十枚を寄進して、像をつくる足しにした。おまえは心を発してはいないが、兄のすることに少しの銭を出した。像をつくる協力をしたから、私は今来て、おまえを救ったのだ。おまえは私の綵服を見て知るだろう』
そう言うと、僧は掻き消えるようにいなくなり、私は蘇生した。私は五体を地に投げ、年来の殺生の罪を悲しみ悔いている」
兄の安遁の家に行き釈迦像を見ると、冥途で見たものと同じ綵服をまとっていました。安良はこれを見ると、いよいよ涙を流し、帰りました。その後、心を至して釈迦如来の像をつくり、恭敬供養しました。
みずからは像をつくっていなくとも、他人のつくったものに一塵の協力をする功徳は量りがたいものがあります。仏はそれを同じく利益し給えると語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一
【協力】 草野真一
【解説】 西村由紀子
『要略録』より得た話。
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