巻六第三十九話 地獄で首楞厳経を講じた法師の話

巻六(全)

巻6第39話 震旦法祖於閻魔王宮講楞厳経語 第卅九

今は昔、震旦に僧がありました。名を法祖といいます。河内(かだい)の人です。幼少時に出家して道を行いました。長安に寺をつくり、その寺で首楞厳経(しゅりょうごんきょう)を講ずるのを仕事としていました。

そのころ、一人の人がありました。姓は李、名は通です。その人が一度死に、蘇生して語りました。
「私は死んで、閻羅王のもとに至った。そこに法祖法師がいらっしゃった。王のために、首楞厳経を講じていた。そのとき、講師が言った。
『はかりがたいほど重い罪を背負った罪人も、私が首楞厳経を講ずるならば、みな?利天に生まれるだろう』
講じ終えると同時に、人はみな忉利天に生まれた。
『この経を聞いた者は、不退の功徳を得ることができる』

「法祖法師は未だ命終らず、生きながら閻羅王の宮に行って経を講じ、罪人を救っている。ふつうの人ではない」
このことは世に伝えられ、みなが貴んだと語り伝えられています。

Wat Pho, Bangkok

【原文】

巻6第39話 震旦法祖於閻魔王宮講楞厳経語 第卅九
今昔物語集 巻6第39話 震旦法祖於閻魔王宮講楞厳経語 第卅九 今昔、震旦に僧有けり。名を法祖と云ふ。本、河内の人也。幼少にして、出家して、道を行ふ。長安に寺を造て、其の寺にして、首楞厳経を講ずるを以て業とす。

【翻訳】 西村由紀子

【校正】 西村由紀子・草野真一

【解説】 草野真一

首楞厳経はかなり早い段階で中国撰述の偽経ではないかと指摘されている。さまざまな文献から仏教哲学を抜き出し、おしゃかさまが語ったふうに加工したものではないかと考えられているのだ。
中国では大いに流行した。この話のように、それ専門に講ずる者もあった。

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