巻六第七話 善無畏三蔵が胎蔵界曼陀羅を震旦に伝えた話

巻六(全)

巻6第7話 善無畏三蔵胎蔵界曼陀羅渡震旦語 第七

今は昔、大日如来は一切衆生(すべての生物)を救い護るために、胎蔵界の曼陀羅の大法を説き、金剛手菩薩(金剛薩埵)に伝えました。その後、数百年を経て、金剛手は中天竺の世無厭寺(ナーランダ大学/僧院)の達磨掬多(ダルマグプタ)に伝えました。達磨はこれを伝え弘めて、斛飯王(にくぼんおう)の五十二代の玄孫、善無畏に伝えました。

胎蔵大日如来(中央)

震旦の開元七年(西暦718年)、善無畏は天竺から胎蔵界の曼陀羅の図を、震旦に伝え弘めました。

そのときの王、唐の玄宗皇帝は、善無畏を国の師として、経典の翻訳をさせ、曼陀羅を描かせ、大壇場(祭壇)を築きました。そのとき、曼陀羅に描かれた仏たちは光を放ち、天から美しい華が降り注ぎました。国王と大臣・百官はこれを見て、礼拝恭敬し、このうえなく貴びました。

その後、国をあげて善無畏に帰依しました。胎蔵界の曼陀羅の霊験は、こればかりではありませんでした。
(下文欠)

胎蔵界曼陀羅

【原文】

巻6第7話 善無畏三蔵胎蔵界曼陀羅渡震旦語 第七
今昔物語集 巻6第7話 善無畏三蔵胎蔵界曼陀羅渡震旦語 第七 今昔、大日如来、一切衆生を救ひ護り給はむが為に、胎蔵界の曼陀羅の大法を説給て、金剛手菩薩に伝へ給ふ。其の後、数百歳を経て、金剛手、中天竺の世無厭寺の達磨掬多

【翻訳】 西村由紀子

【校正】 西村由紀子・草野真一

【協力】 草野真一

【解説】 西村由紀子

密教の大切な図像のひとつ、胎蔵界曼陀羅がインドから中国に伝わった様子を描く。大日如来にはじまる法は、金剛薩埵に伝えられ、それが本話の主人公・善無畏に伝わって震旦に入った。

胎蔵界曼陀羅は金剛界曼荼羅と対をなし、両界曼荼羅として密教を伝えるとされる。金剛界曼荼羅については、次の話で詳細に語られる。

巻六第八話 金剛智三蔵が金剛界曼陀羅を震旦に伝えた話
巻6第8話 金剛智三蔵金剛界曼陀羅渡震旦語 第八今は昔、大日如来は一切衆生(すべての生物)を救い護るために、金剛界の曼陀羅の大法を説き、金剛薩埵に伝えました。金剛薩埵はこれを、数百年ののち、龍猛菩薩に伝えました。龍猛菩薩はやはり数百年後...

 

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