巻6第38話 震旦会稽山陰県書生書写維摩経生浄土語 第卅八
今は昔、震旦(中国)の会稽山の陰県(会稽郡山陰県)に、一人の書生がありました。姓名はわかりません。身の病(持病)があるゆえに、願を発して、維摩経を書写しました。題を書くとき、その夜の夢に、一人の天女があらわれ、書生の身を撫でました。夢から覚めた後、身の病は癒えていて、ふたたび起こることはありませんでした。
その後、いよいよ信を至し、すべてを書き終えました。書生はこの霊験を信じ、願を発し、亡き父母を救うために、さらにもう一度この経を書き写しはじめました。
問疾品(品は章という意味)を書くころ、書生の夢に、雲に乗った天人があらわれ、この経を書く部屋に来て、書生に告げました。
「私はおまえの父である。私は悪業のむくいとして、黒暗地獄に堕ちた。しかし、今、私たちのために、おまえが維摩経を書いてくれている。その光明はたちまちに来て、私の身を照らした。このことで私は地獄を免れ、既に天上に生まれている。歓喜したため、ここに来て、おまえに告げるのだ」
書生は答えました。
「それこそが私の本意です。しかし、母はどこにいるのでしょうか」
天(父)は言いました。
「おまえの母は生きているとき、財を貪ったために、餓鬼の世界に堕ちている。おまえが仏国品を書写するころ、餓鬼の世界を離れて、無動国(妙喜国)に生まれるだろう。私も、時間をおかずして、かの国に生まれるにちがいない。懃(ねんごろ)に心を至して書写しなさい」
夢から覚めて、書生は涙を流し、泣き悲しんで、さらに心を発し、一部を書写して、供養し奉りました。
その後、書生はまた夢を見ました。官人が幡(はた)を捧げてやってきました。この国の人ではないようでした。
「閻魔王が持つ牒(ふだ、帳面)の中に、おまえの名があった。しかし、おまえは維摩経を書写したために、罰を逃れた。おまえに二十年の命を与えよう。やがて、金粟仏土(維摩の前身が住むといわれる仏土)に生まれるだろう。決して怠る事のないように」
その後、さらに信を発し、怠りませんでした。七十九歳で命を終えました。そのとき、書生が全身は金色に輝いていたといいます。人は皆この様子をみて「これは金粟世界に生まれたしるしだろう」と言って貴んだと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一
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