巻六第三十七話 今は死ぬ時期ではないと伝えられた僧の話

巻六(全)

巻6第37話 震旦并州道如書写方等生浄土語 第卅七

今は昔、震旦(中国)の并州(山西省太原市)に一人の僧がありました。名を道如といいます。この州の人の慣習として、七歳以後はみな念仏を修していました。しかし道如は念仏を修せず、戒をたもたず、罪を犯す所の多い人でした。

道如は六十一歳のとき、とつぜん風病(風邪の病)にかかり、一月ほど経って死にました。三日後、生き返って語りました。

「死んだとき、観音菩薩と勢至菩薩がおいでになって、私に教えてくれた。
『おまえは浄土の業を修しなかった。ただ、大乗方等十二部経の名字(名)ばかりを聞いていた。このことによって、罪が少ない。これを告げるために、私たちは遠くより来た。おまえの命はまだ終わりではない。十二年たってから来て、浄土に生まれなさい』
これを聞き、私は合掌して涙を流し、歓喜する間に活(いきかえ)った」

この後、道如は所有しているすべての財産を処分し、方等大集経を書写し、供養しました。つねに念仏を修し、夢の告のように、十二年後の正月十五日に命を終えました。美しい音楽が空にきこえ、天より花が降りました。これを見聞いた人も多かったと語り伝えられています。

浅草寺の二尊仏(左が勢至菩薩、右が観音菩薩。中央に阿弥陀仏を配して阿弥陀三尊という)

【原文】

巻6第37話 震旦并州道如書写方等生浄土語 第卅七
今昔物語集 巻6第37話 震旦并州道如書写方等生浄土語 第卅七 今昔、震旦の并州に一人の僧有けり。名を道如と云ふ。此の州の人の習として、七歳以後は皆念仏を修す。而るに、此の道如は、念仏を修せず、戒行を持(たもた)ずして、犯す所多し。

【翻訳】 西村由紀子

【校正】 西村由紀子・草野真一

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