巻6第6話 玄奘三蔵渡天竺伝法帰来語 第六
今は昔、唐の玄宗皇帝の時代、震旦に、玄奘法師という聖人がありました。
天竺に至る道の途上、広野を歩んでいるとき、日が暮れてしまいました。宿泊するところもなかったので、ただ足に任せて歩いていくと、五百人ばかりの者が、火をともして歩んできます。人に出会ったことがうれしくて、喜びつつ近くに寄って見ると、それは人ではありませんでした。おそろしげな異形の鬼どもが歩いていたのです。
法師は逃れようもなく、ただ「般若心経」を声をあげて誦しました。この経を聞き、鬼どもは、十方に逃げ去りました。鬼の難をまぬがれ、歩き続けることができたのです。
この心経は、法師が天竺に行く間に授けられた経です。
深い深い山の中で、人跡がまったく絶えたところがありました。鳥獣でさえ来ませんでした。
とても臭いにおいがしました。堪え難いにおいでした。草木も枯れ、鳥獣も寄りません。鼻を塞いで退きましたが、臭気の元を知ろうと強い匂いに耐えつつ寄って見ると、ひとつの死体でした。
「これがにおいの元なのだ」
よく見ると、動いています。
「死人ではない。生きた者だ」
事情を聞くために、さらに寄って行きました。
「あなたは誰ですか。どんな病におかされて、ここで横たわっているのですか」
病者は答えました。
「私は女人です。身に瘡の病があって、首より趺(あなうら、足の裏)に至るまで、隙なく身が爛れ腫れて、堪え難い臭気を発します。父母もにおいに耐えられず、私をこんな深い山に棄てたのです。しかし、命は続いていたため、このように死なずにいます」
法師はこれを聞くと、哀れみの心を深くしてたずねました。
「家にあったころ、この病にきく薬を教えてくれる人はなかったのですか」
病者は答えました。
「私が家にあったころ、この病を治すことはできませんでした。しかし、ひとりの医師がこう言ったのです。『首より趺に至るまで、膿汁を吸い舐(ねぶ)るならば、即座に癒えるだろう』。しかし、堪えられないほど臭いので、誰も近寄ろうとはしませんでした。どうして吸い舐ることができましょうか」
法師はこれを聞いて、涙を流しました。
「あなたの身は、たしかに不浄です。私の身は不浄ではないように思えますが、不浄であることに変わりはありません。同じ不浄でありながら、自分を清いと思い、他を穢(きたな)いと考えるのは愚かなことです。私があなたの身を吸い舐り、病から救いましょう」
病者はこれを聞くと体を起こし喜び、身を任せました。
法師は近寄って、まず病者の胸のあたりを舐りました。皮膚は泥のようでした。たとえようもなく臭いにおいがします。はらわたがひっくり返り、気絶しそうでした。しかし法師の哀れみの心は深く、臭いにおいにもかかわらず、膿汁を吸いだして吐き棄てました。こうして頸の下から腰のあたりまで舐り下しました。そこは普通の皮膚となり、癒えていきました。
法師はとても喜びました。そのとき、にわかに栴檀・沈水のような妙香がただよいました。朝日がさしこんだような光が輝きました。法師が驚き怪しみ、退いて見ると、この病人はたちまちに変じて、観自在菩薩(観音菩薩)になりました。法師は膝を地につけて、掌を合わせて向きなおりました。菩薩は体を起こし、法師に告げました。
「汝は真に清浄・質直の聖人である。私は汝の心を試みるために、病人の形をとったのだ。汝は極めて貴い。私が持(たも)つ経がある。これを汝に伝えよう。これを受け、世に弘め、衆生(人々)を導きなさい」
菩薩は経を授け終わると、かき消えるように姿を消しました。鬼に出会って唱えた心経とはこのとき得たものです。霊験あらたかなものです。
(②に続く)
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一
【協力】 草野真一
【解説】 西村由紀子
玄奘三蔵について
『西遊記』に名高い三蔵法師の話である。
三蔵とは仏教に通じた人(経・律・論をきわめた人)をあらわす一般名詞であり、三蔵と呼ばれる僧は何人もいるが、『西遊記』が有名なためか、三蔵法師といえば玄奘三蔵をさすようになってしまった。
玄奘は唐王朝がもっともはなやかだったころ(三代高宗皇帝のころ。本文に玄宗皇帝とあるのは誤り)、長安からインドに向けて旅をした僧である。
インドへの道はタクラマカン砂漠を通りヒンドゥークシュ山脈を抜けるたいへんな難路であり、その歩みは困難をきわめた。しかも、唐では特別な許可がないかぎり外遊を禁じており、玄奘は許可を得ずに国外脱出をしている。国禁をやぶる重罪である。
玄奘は当時の仏教の中心地マガダ国ナーランダ大学/僧院(ビハール州)に学び、インド各地を旅した。この冒険の模様は『大唐西域記』という書物にまとめられている。
般若心経
やがて玄奘は唐に戻った。ときの高宗皇帝は罪をとがめず、現在でも長安(西安)の観光名所になっている大雁塔(大慈恩寺)でインドで得た経典の翻訳にあたらせた。そのもっとも大きな成果が、『大般若経(大般若波羅蜜多経)』600巻の翻訳である。
『大般若経』はとにかく長大だから、流通させるのは難しい。このエッセンスをまとめたのが、『般若心経』である。わずか262文字で暗唱するのもたやすいことから、日本でも多くの宗派で重んじられている。これも玄奘によって漢訳された。
『大般若経』の哲学の中心を成すのが空の哲学である。空とはサンスクリット(古代インド語)でシューニャ、これは数字の0と同じである。0の発見はインドとされている。
空=シューニャ=0は難解とされる空の哲学を解く鍵のひとつといわれる。
『西遊記』の成立は明の時代(16世紀)であり、『今昔物語集』のずっと後になる。
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