巻6第10話 仏陀波利尊勝真言渡震旦語 第十
今は昔、北天竺の罽賓国(かひんこく、カブール。カシミール説もあり)に、仏陀波利(ぶっだはり)という聖人がありました。唐では覚護と呼ばれました。心を発して道を求めた人です。
文殊が清涼山(五台山)にあるとはるかに伝え聞き、簡単に行ける道ではないことを知りながら、流沙(砂漠)を渡り、震旦に入りました。清涼山に詣で、礼拝恭敬して、「文殊の真の姿を見たい」と願いました。
そのとき、山の中から一人の老翁がやってきて語りました。
「法師よ、あなたは故国から、仏頂尊勝陀羅尼(ぶっちょうそんしょうだらに)を持って来ましたか。この国の衆生(人々)は、さまざまな罪をつくっています。出家している者ですら、犯すところが多いのです。仏頂尊勝真言はそれらの罪を除く秘法です。法師よ、もしその経を持たずに来たならば、何の益があるでしょう。たとえ文殊を見たとしても、どうして悟ることができるでしょう。法師よ、すみやかに西国(天竺)に帰り、経を取ってふたたびこの地に参り、流布すべきです」
仏陀波利はこれを聞くと、尊勝真言を持ってこなかった理由を述べようとしました。答えようとしたとき、老翁はかき消えるように失せました。
仏陀波利は驚き怖れ、すぐさま本国に戻りました。道は遠く堪え難いものでしたが、本意を遂げるため、経をとってふたたび震旦に至り、五台山に入りました。その後、二度と山から出ることはありませんでした。
この後の彼のありさまを伝えた人はありません。これが尊勝真言が震旦に入ったはじめであると語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一
【協力】 草野真一
【解説】 西村由紀子
『要略禄』にある話。五台山(清涼山)は文殊の浄土とされていた。
仏頂尊勝陀羅尼の研究-特に仏陀波利の取経伝説を中心として-


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