巻29第10話 伯耆国府蔵入盗人被殺語 第十
今は昔、伯耆守(ほうきのかみ・現在の鳥取県中西部の国司)橘経国(たちばなのつねくに)という人がいました。
この人が伯耆守であった当時、世の中がひどい凶作で、まったく食べる物のない年がありました。
ところで、国府(こくふ・国司の役所で今でいう県庁)のそばに□□院という蔵がありました。
その蔵の物はすべて取り出して使ってしまい、何も残っていませんでしたが、ある人が蔵のそばを通っていると、蔵の中で叩く者がいます。
「誰が叩いているのだ」と聞けば、蔵の中で、「盗人です。このことをすぐ国司様に申し上げてください。この蔵に乾飯(ほしいい・炊いた米飯を乾燥させた保存食)があったのを見て、『少しばかり盗んで命をつなごう』と思い、蔵の上に登って屋根に穴を開け、乾飯のある所に飛び降りようと手を離して中へ飛び降りたところ、乾飯もなく、からっぽだったので、この四、五日、這い上がろうにも這い上がれず、今にも飢え死にしそうです。どうせ死ぬなら、外に出て死にたいのです」と言います。
外の人はこれを聞き、「驚いたことだ」と守にこれを報せると、直ちに国府の役人を呼び、蔵を開けさせて調べました。
見ると、年は四十ほどの男で威風堂々とし、水干装束をきちんと身に着けた、真っ青な顔の男が引き出されてきました。
人びとはこれを見て、「取るに足らぬ微罪です。すみやかに追放なされませ」と言いましたが、守は、「そういうわけにもいかぬ。後々の聞こえもある」と言って、蔵のそばに磔台を作って、はりつけにしました。
それにしても、自分から進んで白状したやつだから、放免すべきであるのに、ひどいことをしたものだ、と人々は非難しました。
この男の顔を見知った人は一人もいないままに終わった、とこう語り伝えているということです。
【原文】
【翻訳】
柳瀬照美
【校正】
柳瀬照美・草野真一
【協力】
草野真一
【解説】
柳瀬照美
地方官である国司が赴任する諸国は、面積・人口・産物などによって、大国・上国・中国・下国の四階級に分けられており、伯耆国は上国であった。
大飢饉のとき、国府の蔵に何も無かったのは、飢えた民たちに放出したわけではなく、巻28第5話で六衛府官人の官給の米を支給できなかった言いわけに越前守為盛が「少し徴収し得た米は朝廷へ差し出し」と言っているのと同様のことが行われたのだろう。定められた分の税を納めたので、橘経国は国司を再任されている。
飢えて出来心で盗みに入り、何もとらなかった男を磔刑にするのは、伯耆の役人や人びとが言うように、あまりにも惨く罰が重すぎる。
都人である受領国司は、そのほとんどが地方を収奪の対象としてしか見ていなかった。
国司の経国にとって、盗人を死罪とすることは、地元の人びとへの見せしめの意味もあっただろう。
だが、長和4年(1015)に同じく上国の尾張国司に任じられた橘経国は、翌年8月に入京した尾張国の郡司・百姓によってその苛政を朝廷へ訴えられている。
「のちの聞こえあり」と、評判を気にして周囲が止めるのも聞かず微罪の男を死刑とした経国は、今度は糾弾される側となり、後世に残る自分の悪評をどう思っただろうか。
〈『今昔物語集』関連説話〉
受領について:巻28「信濃守藤原陳忠御坂に落ち入る語第三十八」
【参考文献】
小学館 日本古典文学全集24『今昔物語集四』日本の歴史 第06巻『道長と宮廷社会』大津透著、講談社
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