巻29第15話 検非違使盗糸被見顕語 第十五
今は昔、ある夏の頃であります。
検非違使が大勢下京(京都市下京区)辺りに行って、盗人の逮捕に当たっておりました折に、盗人を捕らえて縛りつけましたので、もはや帰るべきであるのに、□□(欠字)という検非違使一人が、
「疑わしい事がまだある」
と言って、馬から下りて、その盗人の家に入っていったのであります。
しばらくすると、その検非違使が出てきました。ところがその様子を見ると、入る前とは違って、袴の裾が前より膨らんでおります。他の検非違使たちはそれに目をつけ、「どうも怪しいぞ」と思いました。実は、この検非違使がその家に入る前に、その調度懸(ちょうどがけ)※1の男がその家から出てきまして、主人の検非違使に何事かささやいていたことも怪しく思われていたのです。
この検非違使の袴が膨らんでいるのを他の検非違使たちは、
「どうも怪しい。何があったのか明らかにしなければ我々の恥になる。このままにはしておけない。何とかしてあの検非違使の装束を脱がせて調べてみよう」
と企んで、
「この捕らえた盗人を川原に連れて行って尋問しよう」
と言い合わせて、屏風の裏(びょうぶのうら・場所不明)という所に連れて行きました。
そこに行って盗人を尋問しました後、そのまま帰るところを、川原において、
「さあ、我らも暑いから水浴びをしよう」
と一人の検非違使が言うと、他の検非違使たちも
「それはいい」
と言って、馬から下りて次々と装束を脱ぎ始めました。
すると、あの袴を膨らませた検非違使は、その様子を見て、
「それは、とんでもないことだ。まことによろしくない。どこの検非違使が、軽々しく水浴びなどするものか。まるで馬飼い童のようではないか。バカバカしい」
と言って、自分の装束を脱がせるために謀っているのだとは知らず、ただそわそわと腹立たしげな様子です。他の検非違使たちはその様子を横目で見ながらも互いに目配せしまして、自分たちはどんどん装束を脱いでいきます。そして、その検非違使が腹を立てて装束を脱ごうとしないのを、わざと意地悪くするようにして、むりやり脱がせてしまったのです。
そして、□□看の長(かどのおさ)※2を呼んで、
「この方々の装束などを一着ずつきれいな所に移して置くように」
と命じました。看の長が近寄り、まず、あの袴を膨らませていた検非違使の装束を取って雑草の上に置こうとしました。すると、袴のくくりから、先の方を紙で包んだ白い糸が二、三十ほど、パラパラと下に落ちました。検非違使たちはそれを見て、
「あれは何だ、何だ」
と集まってきて、目くばせをしながら大声で訊ねました。すると、袴を膨らませていた検非違使は朽ちた藍のような顔色になって、茫然と立ち尽くしていました。
他の検非違使たちは、意地悪くふるまっていたところでしたが、その様子を見ると気の毒になり、装束などを急いで身につけて、それぞれ馬に乗って思い思いに駆け去ってしまいました。袴を膨らませていた検非違使だけが、まるで胸を病んでいる者のような顔つきで、ぼんやりと衣装を着け、馬に乗って、その歩みに任せて帰って行きました。
そこで、看の長一人で、その糸を拾い集めて、例の検非違使の従者に渡してやりました。
従者もただ茫然とした様子で糸を受け取りました。放免共※3もこれを見て、仲間同士で密かに
「自分たちは、盗みを働いて罪人となり、今はこのような身になっているが恥ではないぞ。このような事もあるのだからな」
と、ささやき合って、こっそりと笑いました。
これを思うに、この検非違使は極めて愚かな者であります。いくら欲しかったにせよ、犯人逮捕の現場で糸を盗んで見破られるとは、実にあきれたことです。
されば、この事に関して、他の検非違使たちがさすがに気の毒に思って、隠して置こうとしましたが、いつしか世間に知られてしまったと、このように語り伝えているということであります。
【原文】
【翻訳】 松元智宏
【校正】 松元智宏・草野真一
【協力】 草野真一
【解説】 松元智宏
※1 主人の武具などを持って随行した家来。
※2 看督長(かどのをさ)。検非違使庁の下級職員。 役所に付属する獄舎を守衛し、犯人追捕にあたった。
※3 検非違使庁の下人。もと罪人から登用された者が多い。
目もくらむほどの糸の価値
泥棒の大捕物に向かった検非違使の一人が、糸をこっそり持ち帰ろうとしてバレてしまう話。
当時の警察に当たる検非違使の中にも私腹を肥やそうとする者がいるのだなあと呆れると同時に、検非違使の目がくらんでしまうほど、当時の糸の価値が高かったことがうかがえる話です。
平安時代は寺社や貴族の荘園が各地にできました。農民は土地を借りるために年貢を納めるだけでなく、公事(【糸】・布・炭・野菜などの手工業製品や採取物)、夫役(労働で納める税)などを納めました。つまり糸は、年貢や労働力と同じように、権力者とやり取りをする際にも価値あるものとして共通認識されるものだったわけです。現代社会で、土地や家を借りる時に糸を差し出しても何の価値はありませんが、当時は何らかの確かな価値をもつものだったのです。
平安時代には通貨というものが実質的には存在せず(銅銭は流通量が少なすぎた)、米、布、鉄などの代替貨幣が主流でした。モノに価値がある時代だったのですね。
【参考文献】
新編日本古典文学全集『今昔物語集 ④』(小学館)
この話を分かりやすくima訳(現代小説訳)したものはこちら
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