巻二十九第十九話 大盗・袴垂、死んだふりをして人を殺す

巻二十九

巻29第19話 袴垂於関山虚死殺人語 第十九

今は昔、袴垂(はかまだれ)という盗人がいました。
盗みを仕事としていたので、捕えられて牢獄につながれましたが、大赦(たいしゃ・ほとんどの罪人を赦免すること)に浴して出獄したものの、頼って行く所もなく、どうする術も思い当らぬままに、逢坂山(おうさかやま・滋賀県大津市)に行き、何一つ身に着けず、裸のまま死人のふりをして道のほとりに寝ていました。
道を行き来する者がこれを見て、「この男はどうして死んだのかな。傷もないではないか」と、周りを取り巻いて、がやがや言っていると、そこへ立派な馬にまたがり、弓矢を負うた武士が多くの一族郎党を引き連れて京の方からやって来ました。

旧逢坂山隧道東口

人が大勢たかって何やら見物しているのを見て、さっと馬を止め、従者を呼び寄せて、「あれは何を見ているのか」と言って、見にやると、従者は走り寄って見て来て、「傷も受けていない死人がいるのでございます」と言います。
主人はこれを聞くや、すぐさま隊列を整えて、弓を取り直し、死人から距離を置いて馬を進めながら注視して通り過ぎてゆくので、これを見る人びとは手を叩いて笑い、「あんなに多くの郎等や従者を連れた武士が、死人に出会って、びくびくするとは、何とまあ、たいした武士ではないか」と言って、あざけり笑いましたが、武士はそのまま通り過ぎて行きました。

その後、見物人もみな散ってゆき、死人のあたりには誰もいなくなったころ、また武士が通りかかりました。
この武士は郎等や従者を連れていません。
ただ弓矢を持っているだけで、この死人のそばに少しも警戒せず、どんどん馬を近づけ、「気の毒な奴だ。どうして死んだのか、傷もないが」と言いながら、弓で突いたり、引き動かしたりします。
そのとき、とっさに死人がその弓を取り□□て跳ね起き、走り掛かって馬から引き落とし、「親の仇はこうするものよ」と嘲って言うや、武士の腰に差した刀を引き抜いて、刺し殺しました。

そうしておいて、その水干袴を剥ぎ取って身に着け、弓・胡籙(やなぐい)を奪って背に負うと、その馬にまたがり、飛ぶように東に向けて走らせます。
同じように、牢から出された裸の者十人二十人ほどが、かねて打ち合わせてあったとおり、あとから追いついたので、それを手下にして、道々出会った者の水干袴や馬などを片っ端から奪い、弓矢・太刀・刀を多数奪い取って、その裸の手下どもに着せ、武装を整え、馬に乗せ、郎等二、三十人を引き連れた者のようにして山を下りましたが、その様子は向かうところ敵なしの勢いの猛者そのものでありました。

こういう者は、少しでも隙があると、かようなことをするのであります。
それを知らずに近づいて、手の届く所にいようものなら、どうして襲い掛かられぬことがあるでしょうか。
はじめ用心して通り過ぎて行った騎馬武者を、「誰だろう、賢い男だ」と思い、問い尋ねたところ、村岡五郎平貞道(むらおかのごろうたいらのさだみち)という者でありました。
その名を聞いて、人びとは、「あの武士なら当然のことだ」と言い合いました。
多くの郎等・従者を引き連れながら、このことを心得て油断せず、通り過ぎたのは賢明であります。
それに引き替え、従者も連れぬ者が近づいて打ち殺されたのは、まことに浅はかなことです。
これを聞く人は褒めたり謗(そし)ったり、あれこれ取り沙汰したものである、とこう語り伝えているということです。

【原文】

巻29第19話 袴垂於関山虚死殺人語 第十九
今昔物語集 巻29第19話 袴垂於関山虚死殺人語 第十九 今昔、袴垂と云ふ盗人有けり。 盗を以て業として有ければ、捕へられて獄に禁ぜられたりけるが、大赦に掃はれて出にけるが、立寄るべき所も無く、為べき方も思えざりければ、関山に行て、露身に懸たる物も無く、裸にて虚死をして、路辺に臥せりければ、路ち行き違ふ者共、此れ...

【翻訳】 柳瀬照美

【校正】 柳瀬照美・草野真一

【協力】 草野真一

【解説】 柳瀬照美

大赦で出獄した盗人の袴垂がその悪知恵によって多くの手下を持つ盗賊団の頭目になる話。
原文では「関山」と記される逢坂山は、畿内の四つの境の一つで、東堺とされた。
通行する旅人が死人を見て、死体があることではなく、その死因をあれこれ言うほど当時は道端に死体がころがっているのが珍しくなかったようだ。当然、貴重な衣類は剥ぎ取られた状態だった。
だから、袴垂は「普通の死人」のふりをしていた。ただ、傷がないのを不思議がられていたが。

大盗・袴垂。もちろん、本名ではない。巻25第7話では、藤原保昌の威に打たれ、何も盗ることができず、かえって衣を恵まれた話が収められている。

袴垂は長らく保昌の弟で、「本朝第一の盗賊の帳本」といわれた保輔(やすすけ)と混同されて同一人物とされてきたが、近年の研究で別の人物と分かっている。

本話で冷静に対処した武士・平貞道は、源頼光の四天王の一人で平良文の次男。剛の者である。

「頼光朝臣酒呑童子ォ退治之図」勝川春亭画。右から碓井貞光(平貞道)、卜部季武、坂田公時、渡辺綱、頼光、平井保昌

巻二十五第三話 武者の一騎打ち
巻25第3話 源宛平良文合戦語 今は昔、東国に源充(みなもとのみつる)、平良文(たいらのよしふみ)という二人の武人がいました。 充は通称、田源二(みのたのげんに)、良文は村岳五郎(むらおかのごろう)といいました。 この二人...

〈『今昔物語集』関連説話〉
袴垂:巻25『藤原保昌の朝臣盗人の袴垂に値ふ語第七』
平貞道:巻25『頼信の言に依りて平貞道人の頭を切る語第十』、巻28『頼光の郎等共紫野に物を見る語第二』

【参考文献】
小学館 日本古典文学全集24『今昔物語集四』

 

巻二十九
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今昔物語集 現代語訳

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