巻二十九第九話 殺した法師の家をたずねた盗人の話

巻二十九

巻29第9話 阿弥陀聖殺人宿其家被殺語 第九

今は昔、□□の国□□の郡に□□寺という寺がありました。
その寺に、阿弥陀の聖ということをして諸国を歩く法師がいました。上に鹿の角を付け、末端には二股の金具を付けた杖※1を突き、鉦(かね)を叩いて、行く先々で阿弥陀念仏を勧めて歩いていたました。
あるとき、ある山の中を過ぎゆく時に、荷物を背負った一人の男に出会いました。

法師はその男と連れ立って歩きました。そのうちに、男は道の脇に寄って腰を下ろし、昼の弁当を取り出して食べ始めました。法師がそのまま行こうとすると、男が法師を呼び止めたので、近くに寄りました。
「これを召しあがれ」と言って飯を分けてくれたので、法師は遠慮することなく食べました。

食べ終わり、男は下ろしていた荷物を取って担ごうとしています。法師は思いました。「この辺りは、めったに人の来ない所だ。この男を打ち殺して、持っている荷物と着ている衣類を取っても、誰にも知られまい」
そして、荷物を持ち上げようとして、まさか襲われるとは思ってもいない無防備な男を、法師は突然金具の付いた杖で首を突きました。男は、「何をされるのだ」と言って、手を摺り合わせてうろたえましたが、この法師はもともと強力の持ち主なので、聞き入れることもなく、打ち殺してしまいました。それから男の持っていた荷物と衣類などを剥ぎ取って、飛ぶようにして逃げ去りました。

遥かに山を越えて遠くまで逃げ、人里のあるところに出たので、「ここまでくれば、誰にも知られることはあるまい」と思って、ある人家に立ち寄りました。
「阿弥陀仏を勧めて歩く法師です。日が暮れてしまいました。今宵一夜、宿をお借り出来ませぬか」と言いますと、家の主の女が出てきて、
「夫は用事で出かけていますが、一夜だけであればお泊まり下さい」
と言って中に入れましたが、庶民の家で小さい家なので、家族との隔てもなく、法師を竈(かまど)の前に座らせました。

そこで、家の女がこの法師と向かい合って見ますと、法師が着ている衣の袖口が目につきました。夫が着て行った布衣(ほい)※2の、染め革を縫いつけた袖に似ています。女は思いもよらぬことで、まさかあのような事があったとは気がつくはずもありませんが、家の女は、なおこの袖口が怪しく思われてなりません。さりげない風にしながらよく見てみると、間違いなく夫の物であります。

そして、家の女は驚き怪しみ、隣の家に行きました。密かに「こういう事があるのです。いったいどういう事なのでしょう」と相談しますと、隣の人は、
「それは大変怪しいことだ。もしかすると盗んだのかもしれない。実に怪しい。本当にご主人の布衣であるならば、その法師を捕らえて問い詰めるべきです」
と言いますと、女は、
「盗んだのか盗んでないのかは分かりません。しかし、あの着物の袖は間違いなく夫の物です」と言いました。隣の人は、
「それならば、法師が逃げ出さないうちにすぐに問い質すべきだ」と言って、その里の若い男で強力の者四、五人ばかりにこの事を伝えて、夜のうちにその隣の人の家に呼び寄せました。

法師は食事を済ませ、そのような事とは思いもかけず、すっかり打ち解けて寝ていました。突然、男たちが入って来て取り押さえましたので、法師は「いったい何事か」と言いましたが、ただ縛りに縛って、引き出して足をねじり上げて詰問しました。しかし、「決して罪など犯していない」と言って白状しませんでした。ある人が、「その法師が持っている袋を開けて見よ。家の主の物が入っているかもしれない」と言いましたので、「なるほど、その通りだ」と袋を開けて見ますと、家の主が持って出た物が全部入っていました。

「思った通りだ」と言って、今度は、法師の頭のてっぺんに土器に火を入れて乗せて問い詰めました。すると、法師は熱さに堪えられず、
「実は、どこそこの山中にて、然々の男がおりましたが、その男を殺して奪った物です。それにしても、これはどなたが詰問されていらっしゃるのか」
と尋ねます。
「ここは、その殺された男の家なのだ」
と教えますと、法師は、
「さては、私は天罰を蒙(こうむ)ったのだ」と答えました。

夜が明けて、その法師に案内させて、その里の者どもが集まって行ってみますと、確かにその主人の男が殺されて放置されていました。まだ鳥獣に食い荒らされておらず、そのままの姿でしたので、妻子はこれを見て泣き悲しみました。
そこで、その法師を「連れて帰ってもどうしようもない」ということになり、その場所で張り付けにして射殺しました。

これを聞いた人は、法師を憎みました。「男に慈悲があって、呼び寄せて飯を分けて食べさせてくれたことも思いやらないで、法師の身でありながら邪見(じゃけん)※3が深く、物を盗み取ろうとして殺しのを天が憎まれたのだろう。他の家には行かず、殺した男の家に行って、現にこのように殺されてしまったのは、感慨深いことである」と、この話を聞く人々は言い合ったとこのように語り伝えているとのことでございます。

【原文】

巻29第9話 阿弥陀聖殺人宿其家被殺語 第九
今昔物語集 巻29第9話 阿弥陀聖殺人宿其家被殺語 第九 今昔、□□の国□□の郡に□□寺と云ふ寺有り。其の寺に、阿弥陀の聖と云ふ事をして行(ある)く法師有けり。鹿の角を付たる杖を、尻には金を朳(えぶり)にしたるを突て、金皷を扣て、万の所に阿弥陀仏を勧め行けるに、山の中を過ぎける程に、男の物荷ひたる会ひたり。

【翻訳】 松元智宏

【校正】 松元智宏・草野真一

【協力】 草野真一

【解説】 松元智宏

※1 鹿杖(かせづえ)といいます。六波羅蜜寺の空海上人像も握っています。

空也上人像(六波羅蜜寺)。口から阿弥陀仏が六体(南無阿弥陀仏の六字)

※2 布衣・・・庶民が普段着として用いた布製の狩衣(かりぎぬ)。
※3 邪見・・・仏教用語。 サンスクリット語で悪しき見解という意味。特に因果の道理を否定する見解はいちばん悪質なので,それを邪見という。

巻十七第二十一話 六波羅蜜寺の地蔵像の由来
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因果応報を説く話

阿弥陀仏の教えを説いて回る法師が、人を殺して荷物を奪った結果、因果応報の報いか、殺した男の家で強盗殺人がバレてしまう話。

阿弥陀如来はすべての者を極楽浄土へ導くとされています。 他力本願(自分の力によらず仏の力で救われること。だから特別な修行をしなくてもよい)ともよばれ、どんな人でも「南無阿弥陀仏(南無はお頼み申すのような意味)」と唱えれば極楽浄土へ往生できるというのが浄土教の教えです。

阿弥陀仏は仏になる時に、「もし私が仏になる時、極楽世界に産まれたいと望む者が、十回の念仏をしてその者が極楽に産まれないのであるならば私は仏とはならない」という誓いをたてたため、「南無阿弥陀仏」と繰り返し唱えるだけでよいとされました。

ちなみに、浄土真宗が武士や農民を中心に圧倒的な支持を受け広がるのは鎌倉時代のことなので、もう少し時代が下ってからのことです。戦った敵の死や家畜の死など、死穢に触れる武士や農民は救われないと考えられていたところに、他力本願で救われると教えられたのでぶわっと広まったのです。
生と死が日常の中に共存する殺伐とした今昔物語の世界観を見ていると、そうした救いを求めた当時の人々の心境も察せられます。
それにしても、この法師は射殺される時に「なむあみだぶつ」と唱えたのでしょうか。

また、この話では私刑による死刑が登場します。平安時代に律令による死刑が形骸化し、私刑がはびこっていたことがうかがえます。以下の解説も御覧ください。

巻二十九第六話 強盗するために人の家に押し入って捕らえられた放免たちの話(芥川龍之介『偸盗』元話②)
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【参考文献】
新編日本古典文学全集『今昔物語集 ④』(小学館)

この話を分かりやすく現代小説訳したものはこちら

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【ハロー効果】  人は、他人や物の価値を、一部の目立つ特徴によって決めてしまいます。ハローとは「Halo」で、後光という意味です。一を見て十を知る思考の働きですが、少ない情報で判断してしまうと誤った結論に陥ってしまいます。 ima訳【因果応報に陥る法師】巻二十九第九話阿弥陀聖人、人を殺して其の家に宿り、殺さるるこ...

 

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