巻29第13話 民部大夫則助家来盗人告殺害人語 第十三
今は昔、民部の大夫(みんぶのだいふ)※1□□(欠字。姓不明)の則助という者がいました。
ある日、終日外出していて夕方に家に帰ってきたところ、車宿(くるまやどり)※2の片隅から一人の男が現れました。則助がこれを見て、
「お前はいったい何者だ」と訊ねますと、男は、
「内密に申し上げる事がございます」と答えました。則助が、
「よし、申せ」と言いますと、男は、
「きわめて内密に申し上げたいのです」と言いますので、従者たちを全員遠ざけました。
すると、近くに寄ってきてささやくように言いました。
「私は、盗人でございます。あなたがお乗りになっている栗毛の御馬は、実にすばらしい逸物だと拝見しておりました。今日明日のうちに東国に受領の供をして行くことになりまして、これに乗っていきたいと思いまして、何とかして盗もうと思ってしまったのです。開いておりました御門から入りまして、隠れて様子をうかがっておりますと、内から奥方様らしい女性が出て来まして、そこに居りました男とと耳打ちをし、□□(欠字があるがもとの言葉は不明)長い鉾(ほこ:槍のような武器)を持たせて屋根の上に登らせました。きっと、何かよからぬことを企んでのことことでしょう。それを見ますと、あなたにとって大変お気の毒な事と思われまして、黙ってもおられず、ままよ、この事を申し上げてから逃げようと思ったのです」
これを聞くと則助は、
「しばらく隠れていよ」と男に言いました。
従者を呼んで何事かを耳打ちして行かせましたので、男は、
「自分を捕まえようとしているのだろうか」
と思いましたが、出て行くことも出来ずにいました。すると従者は、えらく強そうな者ども二、三人を連れてきました。
すぐさま松明をともして、屋根の上に登らせて、屋根裏を捜させました。しばらくすると、天井から水干装束の侍風の者を捕らえて、引きずり下ろして連れてきました。次に、鉾を取って持ってきました。天井には穴があけてありました。
そこで、その男を尋問しますと、
「私は然々という者の従者です。もはや隠し立ては致しません。ここの殿が寝入られたら、天井より鉾をさし下ろせ。下で奥様が穂先を殿の胸に当てた時に、ただ突き刺せと命じられました」
と白状したので、この男を捕らえて検非違使に引き渡しました。
そして、この事を告げた盗人は召し出して、欲しがっていた栗毛の馬に鞍を置いて、すぐに屋敷内で乗せて、そのまま追い出しました。その後、その盗人がどうなったか分からないままであります。
これは、妻に間男がいて、企んだことでありましょうか。しかしながら、夫はその妻と長く連れ添っていました。どうも合点のいかないことであります。
たとえ夫婦の契りが深くて、愛情が薄くはない仲であったとしても※3、命に代えられるものではございません。
また、この則助は秀でた乗馬のおかげで命拾いをしたのでございます。それに、盗人の心根も殊勝なものであった、とこの話を聞いた人は言い合った、
とこのように語り伝えているとのことでございます。
【原文】
【翻訳】 松元智宏
【校正】 松元智宏・草野真一
【協力】 草野真一
【解説】 松元智宏
※1 民部省の六位のうち、選抜されて五位に叙せられた者。五位に叙された者は受領に任じられる資格を得ます。受領は平安時代において儲けるには最適の位です。
※2 牛車を入れておく建物。29巻は車宿がやたら頻出します。
※3 原文は「こころざし愚かならぬ仲なりと云うとも」です。直訳すると、「愛情はいい加減ではない仲と言っても」。転じて、「愛情深い仲だと言っても」ですが、今昔物語らしく冷めた夫婦像っぽい訳にしました。
生ま々々しい夫婦像
どろぼうからあなたの奥様が何やら男を天井裏に連れ込んで企んでますよと教えられて間男を取り押さえる話。こうして一文あらすじにまとめるのが難しい、なかなか込み入った話です。何しろ、夫殺害を企てた妻の処分が語られず、そのまま何事もなく暮らしたというのですから、「いみじく心得ぬことなり」です。
一方、良い馬をもっているといいことがあるという因果応報は素直に読み取れます。正直に打ち明けるといいことがあるという因果応報も織り込まれています。
しかし、この妻には因果応報の報いはなかったのでしょうか。それとも、全ては妻の陰謀で、どろぼうですら妻のさしがねだったのでしょうか。
おそらく、このような論理や倫理では割り切れない生々しい人間模様をそのまま記しているのが「今昔物語」なのだということなのでしょう。物語としてオチがつくように再構成するのではなく、実際にあったことをそのまま記しているのです。それが「今昔物語」。これぞ「今昔物語」。
芥川は「今昔物語」を「美しい生々しさ」と批評し、「『生ま々々しさ』は『今昔物語』の藝術的生命であると言つても差し支へない」と言っています。この話も(美しいかどうかはさておき)夫婦の「生ま々々しさ」が未自覚的に表れているのではないでしょうか。「『今昔物語』の作者は、事實を寫すのに少しも手加減を加へてゐない。」のです。
ところで、天井裏から寝ている主人の胸を槍で突く殺害法はよく知られた方法らしく、他の物語でも散見します。今昔物語でも、
に使われています。清水寺に参拝に来る人を美女をおとりに誘い込んでは同衾したところを天井裏から刺し殺して金品を奪う話です。ところが誘い込んだ男におとりの女が惚れ込んでしまい・・・。(2021年10月現在、まだ本サイトに訳はありませんが、いずれ訳します)
【参考文献】
新編日本古典文学全集『今昔物語集 ④』(小学館)
この話を分かりやすく現代小説訳したものはこちら
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