巻29第12話 筑後前司源忠理家入盗人語 第十二
今は昔、大和の守(やまとのかみ)藤原親任(ふじわらのちかとう)という人がいました。その人の舅に筑後の前司(ちくごのぜんじ)源忠理(みなもとのただまさ)という人がいました。賢くて万事に通じ、優れた才能の持ち主でした。
この人が、方違え(かたがたえ)※1をするために自宅の近くの小家に行って静かに寝ていました。その家は大路に面した桧垣(ひがき)に沿って寝所が造られていましたが、そこで寝ていました。
雨が激しく降って、少し小やみになった真夜中とおぼしき頃、人の足音がして、自分が寝ている近くの桧垣の辺りに立ち止ったような気がしました。「何事だろう。自分を殺そうとするほどの敵に覚えがない。この家の主をどうにかしようとしている者かも知れない」と思いますと、怖ろしくて眠ることもできません。
「誰かあるか」と声をかければ即座に頼もしく返事をするような従者もいませんので、目を覚まして聞き耳を立てていました。すると、大路を通って行く足音が聞こえてきます。前から桧垣の辺りに立っている者が〔口笛を〕吹きますと、大路を通る者が立ち止まり、忍び声で「誰々殿でいらっしゃいますか」と言います。「そうだ」という答えがすると、近寄ってきました。
そうした様子を聞いて、筑後の前司は、「今にも戸を蹴破って押し入って来るのではないか」と、恐ろしくて小さくなって寝ていましたが、すぐに押し入ってくる気配はなく、何やらひそひそと話している様子です。桧垣の方に身を寄せて聞き耳を立てていますと、どこか人の家に押し入って盗みを働こうという相談をしていたのでした。
「どこに押し入ろうとしている盗人だろうか」と聞いていますと、「筑後の前司」などと言います。「まさしく我が家に押し入ろうとしている盗人だ。そのうえ、自分が信頼して使っている侍が手引きしているのだ」と、確かに聞き取れました。
外の二人は相談し終わり、「それでは明後日、誰々を連れて必ず来てください」などと約束して、別れて歩み去りました。
「うまい具合に、ここに寝ていて、このようなことを聞くことが出来たぞ」と思い、夜が明けるのを待ちかねて、明け方に家に帰りました。
近頃の人であれば、夜が明けるや否や宿直警護の者の数を増やし、あの手引きをすると言っていた侍を捕らえておいて、押し入ろうとする盗人の事を聞き出して、検非違使の別当にも役人にも知らせるところです。その頃までの人は、考え方が古風であったうえに、この筑後の前司という人は、特別抜かりのない人物だったからであろうか、この手引きをしようとしている侍を、さりげなく接して、それとなく外に使いに行かせ、その侍がいない間に、密かに家の中の品物の良い悪いにかからわず、一つも残さず外に運び出しました。妻や娘なども、あらかじめ他の用事にかこつけてよその家に行かせておきました。
さて、その盗人たちが約束していた日の夕暮れ時になると、あの手引きをしようとしている侍がやってきました。家の中から物も人もいなくなっていることは見せず、気取られないようにして、自分たちもいつも通りに振る舞って、夜更けてから、そっと忍び出て、近くの人の家に行って寝ていました。
その間に盗人たちがやって来て、まず門を叩きますと、あの手引きすることになっている侍が門を開けて入れさせますと、十人から二十人ばかりの盗人が入ってきました。
盗人たちは、手当たり次第に家の中を捜しましたが、何一つ物も見当たりませんので、盗人たちは捜しあぐねて出て行こうとして、あの手引きの侍を捕らえて、「我らを謀って、何も無い所に入らせたのだな」と言うと、寄ってたかって散々に蹴飛ばし踏みつけて、あげくの果てには縛って、車宿(くるまやどり)の柱に少々のことでは解けないように結び付けて、逃げ去りました。
夜が明けると、筑後の前司は家に帰り、ずっと家にいたようなふりをして、あの手引きしようとしていた侍を捜したが、どこにもいません。
すると、車宿の方からうめき声が聞こえてきます。何だろう、と思って行って見ると、あの侍が車宿の柱に縛りつけられていました。筑後の前司は、「これは、手引きしそこなって盗人に縛りつけられたのだろう」と思うと可笑しくなりましたが、「お前は、一体どういうわけでこのような目に遭ったのか」と尋ねました。すると、侍は「昨夜入った盗人が怒って、このように私を縛りつけて出て行ったのです」と答えましたので、筑後の前司は「これほど物の無い所と知りながら、その方たちがおいで下さったのは□□ですが□□」□□そのまま終わった。※2
その後、財物のない所と知られるようになり、盗人が入ることも入らなくなりました。このように、近頃の人とは考え方が違っているようです。
あの手引きした侍は、いつの間にやら、この家を出て姿をくらましてしまいました。
その後、新たに二人の侍がやって来て仕えるようになりました。
ただ、その家の物は外に運び出したままで、置いている所も信用出来る家でしたので、自宅に取り寄せることはせず、必要な物だけを取り寄せては使っていました。
そうした時、近所で火事が発生しました。「延焼するかもしれない」と物などを取り出しましたが、もともと物は外に移していますので、これといって取り出すべき値打ちのありそうな物もありません。そこで、何も入っていない大きな唐櫃※3が一つありましたので、あの新参の侍二人は、それを担ぎ出しました。
火も延焼することなく消えましたので、筑後の前司は物を運び出した所に行って、隠れて立っていました。それを知らずに、新参の二人の侍は、大唐櫃の錠前をねじ切って開けて見ますと、全く何も入っていません。二人の侍は顔を見合わせて、「この家は何も無い家だ。この唐櫃だけはと当てにしていたが、これも空っぽで何も入っていない。我らもこのまま使われていても、大した物は貰えそうもない主人だ。何の頼みにもならぬ。さっさとおさらばしよう」と言って、二人一緒に逃げ去りました。
そこで、その唐櫃は、女が担いで家に運び込みました。
筑後の前司は、「家財道具を外に運んで置いておくのも、良いこともあり、悪いこともある。盗人に物を取られないこと、これは良いことだ。二人の侍を逃がしてしまった、これはとんでもなく悪いことだ」と言いました。
賢い者なのでこういう事をしたとは思われますが、これがそれほど良い事とも思われません。必要な時に物を取り寄せては使ったというのも、じつに不便な事でありましょうに。
昔は、このような古風でおおらかな心の持ち主もいたのだ、とこのように語り伝えているとのことでございます。
【原文】
【翻訳】 松元智宏
【校正】 松元智宏・草野真一
【協力】 草野真一
【解説】 松元智宏
※1 外出の際に天一神(なかかみ)の巡行に出会うと禍を受けるので、その方角を避けるため前夜に吉方の家に泊まり、方角を違えてから目的地に行く風習。
※2 欠字が多く、文意不明。
※3 六本足のついた唐風の櫃。衣服、甲冑、文書などを入れるが、ここでは空っぽでした。
昔の人が言った。「昔の人はのんびり屋である」???
方違え先で我が家に押し入る盗賊の密談を耳にし筑後の前司が家財道具をすべて他家に預け、盗賊の鼻を明かした話。しかも、この後も家財道具を他家に預けたままにして、新たに雇った侍にもあきれられます。
ここで語り手が「古はかかる古代の心持ちたる人ぞありける(盗人をさっさと捕まえもせずいちいち道具を取りに行く生活を続けるなんて、昔はこんな古風でおおらかな心をもった人がいたものだ)」と感想を述べます。現代の我々も、昭和の田園風景などを見ては「昔はのんびりしてたんだなあ」なんて感慨深いため息なんかついてしまいますが、このようにほんの二、三十年前を振り返って「昔はさあ」などと遠い目をして語る話型は、平安の時代に既に完成していたのです。しかし、令和の我々からすると、平安の人に、「昔の人はのんびりしてたよね」などと感慨にふけられてもちょっと困る。昔の人が「昔の人はのんびりしてた」と言っているわけですから、思わず、いやあんたも昔の人やん、とツッコミを入れたくなります。
これは、芭蕉が平泉で義経たちの歴史を偲んで涙する時間感覚と似ています。芭蕉からしたら、義経たちは500年も歴史の彼方の出来事です。我々からしたら芭蕉が370年前の人物ですから、それ以上の昔を偲んでいるわけです。
古典に触れていると、すべて一緒くたに「昔」と捉えがちですが、生きている人間にとっては「十年一昔」であることを忘れずに当時の人々の時間感覚に思いを馳せることも大切ですね。
ちなみに、「一昔は何年前?」というアンケートでは「五年」が一位だそうです。現代では「五年一昔」なのですね。西暦2500年の人々がこの文章を読んだらどんな感覚になるのでしょうか。
【参考文献】
新編日本古典文学全集『今昔物語集 ④』(小学館)
この話を分かりやすく現代小説訳したものはこちら
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