巻二十九第三話 正体不明、謎の女盗賊の話(芥川龍之介『偸盗』元話①)

巻二十九

巻29第3話 不被知人女盗人語 第三

今は昔、いつ頃のことでございましょうか、侍ほどの者で、誰だとは知りませぬが、年は三十くらい、すらりとした背格好の、少し赤ひげの男がいました。

ある夕暮れ時に、␣(欠字)と␣(欠字)との辺りを通っていますと、半蔀(はじとみ・蔀の上半分だけを開閉できるようにしたもの※1)の陰からチュッチュッと鼠鳴きして手を指し出して招かれたので、男は近寄って「お呼びですか」と言いますと、女の声で「申し上げたいことがございます。そこの戸は閉まっているようですが、押せば開きます。それを押し開けていらっしゃってください」と言いますので、男は「思いがけないことだ」と思いながら、押し開けて入りました。

すると、その女が出てきて「その戸、鍵を掛けてください」と言うので、戸に鍵を掛けてそばに寄りますと、女は「上がって来て」と言いますので、男は上がりました。簾(すだれ)の内に呼び入れたので※2、たいそうよく設(しつら)えられた所に、二十歳余りの美しく魅力的な女性がただ一人座っていて、微笑みながらうなずいたので男は近くに寄りました。これほど女に誘われては、男たるもの引き下がるわけにもいかず、遂に二人は共寝しました。

その家には、他に誰一人いないので、「この家はいったいどういう所なのか」と怪しく思いましたが、一度結ばれたあとは、男は女に心を奪われていましたので、日が暮れるのも知らず共寝していると、やがて日は暮れ、門を叩く者がいました。
応対する者が誰もいないので、男が出て行って門を開けますと、侍らしい男二人と、女房らしい女一人が、下女を連れて入ってきました。
そして、蔀(しとみ)を下ろして灯をともし、たいそうおいしそうな食べ物を銀の食器に盛って、女にも男にも食べさせました。
男はこれを不思議に思いました。「自分が入った時、戸は鍵を掛けた。その後は、女が誰かに連絡した様子もなかったが、どのようにして私の食べ物まで持ってきたのだろう。もしかすると、別に男がいるのかもしれぬ」と思いましたが、腹が空いていたこともあり、よく食べました。女も、男に遠慮することなく食べていて、すっかり打ち解けた様子です。食べ終わると、女房らしい女が後片付けなどして出て行きました。その後、女は男をやって戸の鍵を掛けさせ、また二人で寝ました。

夜が明けますと、また門を叩きますので、男が行って戸を開けると、昨夜の者たちとは違う別の者たちが入って来て、蔀を打ち上げ、ここかしこを掃除してしばらく居ましたが、粥や強飯(こわいい:おこわのこと)を持ってきて、それらを食べさました。続いて、昼の食べ物など持ってきて、それらを食べさせると、また皆去っていきました。

このようにして二日三日と過ごすうちに、女が男に「どこかに行くべきところがありますか」と聞きます。男は「少しばかり知人の所に行って話したいことがあります」と答えました。女は「それでは、すぐに行ってきてください」と言いますと、しばらくするうちに、立派な馬に世間並みの鞍を置いて、水干(すいかん)装束の雑色三人ばかりが舎人(とねり:馬の世話人)を連れてきました。そして、男が座っている所の後ろに、壺屋(つぼや:物置のような部屋)から、ぜひ着たいと思うようなすばらしい装束を取り出してきて着せましたので、男はそれを着てその馬に乗って、その従者どもを連れて出かけたましが、従者どもは従順でとても使いやすいのです。
用を終えて帰って来ますと、馬も従者も、女は何も命じないのに、帰って行ったのでした。食事なども、女が命じている様子もないが、どこからともなく持ってきて、ただ、前と同じようにして帰って行くのです。

このようにして、何不自由なく二十日ばかり過ぎたころ、女が男に言いました。「思いもかけず、このような関係になったのもかりそめのご縁のようですが、然るべき縁(えにし)があればこそこのようになられたのでございましょう。されば、生きるも死ぬもわたくしの申し上げることに、よもやいやとはおっしゃいませんね」と。
男が「まことに。今となっては、生かすも殺すもあなたのお心しだいです」と言いますと、女は「とても嬉しく思います」と言って、腹ごしらえをすまさせる。昼はいつものように誰もいないので、男を「さあ、こちらへ」と言って、奥の別棟に連れて行き、この男の髪に縄をつけて磔用の柱に縛りつけ、背中を荒々しく出させ、足を曲げてしっかりと結び付けますと、女は烏帽子(えぼし:成人男子が用いる袋型の被り物)をつけ水干袴を着て、片肌脱ぎになって、鞭でもって男の背中をしたたかに八十度打ちつけました。
そして、「どう?」と男に訊ねます。男が「大したことはない」と答えますと、女は「思った通りね」と言って、竈(かまど:止血の効果がある)の土を水で溶いて飲ませ、良い酢を飲ませ、地面をよく掃いてそこに寝かせて、二時間ほどして引き起こし、いつものように回復しますと、その後でいつもより立派な食事を持ってきました。

そのあとよくよく介抱し、三日ばかり間をおいて鞭の跡がどうやら癒えるほどに、前の所に連れて行き、また同じように磔柱に縛りつけて、前の鞭の跡を打ちますと、鞭の跡ごとに血が流れ肉が裂けますのを、構わず八十度打ちました。それから、「どう? 堪えられる?」と聞きますと、男は少しも顔色を変えることもなく「堪えられそうだ」と答えました。今度は最初の時より感心して褒め、よく介抱して、また四、五日ばかり経つと、また同じように打ちつけましたが、それに対しても同じように「堪えられそうだ」と答えますと、ひっくり返して、腹を打ちつけました。
それにもなお「大した事ない」と男が言いますと、ひどく感心して褒め、それからしばらく十分に開放し、鞭の跡がすっかり癒えたあと、ある夕暮れ方に、黒い水干袴と真新しい弓、胡録(やなぐい:矢を入れて背負う武具)、脚絆(きゃはん)、藁沓(わらぐつ)などを取り出してきて、身支度を整えました。

そして、女は男に教えました。「ここから蓼中の御門(たでなかのみかど:場所未詳)に行き、そっと弦打ち(つるうち:弓の弦をはじいて鳴らすこと※1)をしなさい。すると、何者かがまた弦打ちをします。口笛を吹くと、また何者かが口笛を吹くでしょう。そこで、あなたはその者に近寄りなさい。すると、『何者か?』と問われるでしょう。その時に、あなたは、ただ『侍り(はべり:かしこまってここにいます)』と答えなさい。そして、連れて行かれるままに行き、言われたことに従い、立てと命じられた所に立ち、人などが出てきてじゃまをしてきたらよく防ぎなさい。
それから、船岳(ふなおか:朱雀大路の真北にある小山。火葬場でもあった)の麓に行って、獲物を処理するはずです。その時、あなたに分け前を取らせようしますが、取ってはなりません」と、よくよく教えて出かけさせました。

男が教えられた通りに出かけていくと、女が言ったように呼び寄せられました。見てみると、まるで同じような姿の者が二十人ばかり立っていました。そこから少し離れて、色白の小柄な男が立っていました。その者に皆が服従している様子であります。その他に下っぱの者が二、三十人ばかりいました。
その場で、それぞれの役割を指示し、一団となって京の町に入りました。そして、大きな家に押し入ろうとして、二十人ばかりをここかしこの妨害が予想されそうな家々の門の前に二、三人ずつ立たせ、残りの者全員がはその家に押し入りました。
この男は、腕前を試そうということなのか、特に手ごわい家の門に立たされた者の加勢に加えられました。その家の中から人が出てこようと矢を射かけてきましたが、男はよく戦って逆に射殺しました。また、ほうぼうに分かれている者どものふるまいもよく見ていました。

やがて、略奪し終わると、船岳の麓に行き、獲物の分配をしました。この男にも分け与えようとしたが、男は、「わしは何もいらない。ただ仕事を見習おうと思って来ただけだ」と言って受け取らずにいますと、首領と思われる者が少し離れて立っていて、満足そうにうなずきました。やがて、各々、別れて去っていきました。

男があの家に帰って来ますと、湯が沸かしてあり、食事などの用意をして待っていました。ことを済ませると、女と二人で寝ました。
男は、この女と離れられないほど愛しく思うようになっていましたので、この仕事を嫌だと思う気持ちはありませんでした。そうして、このような事をするのが七、八度に及びました。
ある時には太刀を持って家の中に押し入らせ、ある時には弓矢を持って外に立たせました。その度に男はうまく立ち働きました。

このようにして、二人の生活が続いていましたが、ある時、女は鍵を一つ取り出して男に渡して、「これを、六角通よりは北、␣(欠字)よりは␣(欠字)にある然々(しかじか)という所に持って行きなさい。そこに蔵が幾つかありますので、その中の一つを開けて、目についた良い物をしっかり荷造りさせなされ。その辺りに車貸しが沢山いますので、それを呼んで積んで持っておいでなさい」と命じました。

六角通

男は、教えられた通りに行って見ますと、本当に幾つかの蔵がありました。その中の教えられた通りの蔵を開けてみますと、欲しい物が皆この蔵にはありました。「何と、驚いたことだ」と思いながら、言われた通りに車に積んで持って帰り、思うままに取って使いました。
このようにして過ごしているうちに、一、二年は過ぎました。

ところが、ある時、この女が、いつもと違って何となく心細げな様子で泣いていました。
男は、「これまでこのような事はなかった。おかしなことだ」と思って、「どうして、泣いていらっしゃるのか」と言いますと、女は「ただ、心ならずもお別れすることがあるかと思うと、悲しいのです」と言いますので、男は「どうして、今さらそのようなことをお思いになるのか」と尋ねると、女は「この儚い世の中では、そのような事があるものなのです」と言います。
男は、「ただ言っているだけだろう」と思って、「ちょっとした用事があるので出かけます」と言うと、女は、これまで通りに仕度を整えて出掛けさせました。
男は、「供の者どもも、乗っている馬もいつも通りだ」と思い、出かけた先で二、三日滞在する予定だったので、共も馬もその夜はそこに留めて置きましたが、次の日の夕暮れに、共のものはちょっとその辺りに外出するようなふりをして馬を引き出していましたが、そのまま姿を消してしまいました。

男は、「明日帰るつもりなのに、これはどういうことだ」と思って探し回ったが、見つけることが出来なかったので、驚き怪しみ、人に馬を借りて急いで帰ってみると、あの家は跡形もありませんでした。
「これは、いったいどうしたことだ」と不思議に思って、蔵があった所に行って見たましたが、それも跡形もなくなっていました。尋ねる人もいませんので、どうすることも出来ず、その時になって初めて女が言っていた言葉が思い合わされました。

さて、男は、今更どうすることも出来ず、前からの知り合いの家に行って過ごしたが、日頃の習慣から、今度は自分の意志で盗みを働き始め、それが二度三度にもなりました。そのうちに男は捕えられて尋問され、ありのままに一部始終を白状しました。

これは実に驚くべきことでありました。
あの女は、変化の者、霊鬼などの化身であったのでしょうか。一、二日のうちに、家も蔵も跡形なく壊し、消滅させてしまうなど、何とも不思議な事であります。また、多くの財宝や従者どもを引き連れて去ったのに、その後、何の消息も聞かないのは、実に驚いたことです。
また、家にいながら命令することもしないのに、思いのままに従者どもが時を違えずやって来て強盗を働いたというのも、真に奇怪なことであります。
あの家に男は二、三年女と一緒にいましたが、「そういうことだったのか」とは最後まで分からないままでした。また、盗みを働いていた間も、集まって来た者どもが誰ということも全く分からずじまいでした。
ただ一度だけ、仲間が集まっているところから少し離れて立っていた者に、他の者が畏れ敬うようにしていましたが、松明の灯影に透かして見えた姿は、男の顔色とも思えないほどたいそう白く美しく、その目鼻立ちや面差しが我が妻としていた女と似ているように見えたことも、もしかするとそうであったのではないかと思われました。それも確かな事ではないので、いぶかしく思いながらもそのままに終わりました。
これは世にも不思議な事なので、このように語り伝えているということでございます。

【原文】

巻29第3話 不被知人女盗人語 第三
今昔物語集 巻29第3話 不被知人女盗人語 第三 今昔、何れの程の事にか有けむ、侍程也ける者の、誰とは知らず、年卅許にて、長すはやかにて、少し赤鬚なる有けり。 夕暮方に、と□の辺を過けるに、半蔀の有けるより、鼠鳴をして手を指出て招ければ、男、寄て、「召すにや候らむ」と云ければ、女音にて、「聞ゆべき事の有てなむ。其...

【翻訳】 松元智宏

【校正】 松元智宏・草野真一

【協力】 草野真一

【解説】 松元智宏

※1 蔀・・・平安時代から住宅や社寺建築において使われた、格子を取り付けた板戸。
※2 ふつうは女は簾越しに男に応対する。簾のうちに呼び入れたのは、かなりなれなれしい態度。
※3 弦打・・・呪術的な意味があった。ここでは連絡用の合図になっている。

構成の妙が光る屈指の長編

長編です。しかし、謎の女との出会いから、妖しいムチ打ち、スタイリッシュに組織だった盗賊集団など、読むものを飽きさせない構成が見事です。盗賊の首領が「色白らかなる男の小さやかなる」と描写されるところでは、謎の女こそが首領なのではないかというミステリアスな要素が加わり、物語の展開が加速していきます。
女盗賊の謎を深めるためか、女の視点で描かれる場面や女の心情を描く文は一切なく、巻き込まれた若い男視点で描かれているところに、現代小説にもつながる物語の構造的な構成の妙が見られます。
謎の女が男に惹かれていくが、組織のために(?)別れも言わず姿を消すところも鮮やかです。

また、この話は芥川龍之介「偸盗(ちゅうとう)」の元になっています。偸盗とは盗人のこと。
「人々に疫病や飢餓が蔓延するようになった荒れ果てた平安京。太郎と次郎の兄弟は、女頭目の沙金をめぐる三角関係で険悪なムードになっていましたが、ある夏の日の夜、彼らは仲間を集めて、藤判官(とうほうがん)の屋敷へ向かいます。ところが、太郎を陥れようと沙金が判官の侍に夜襲を密告し・・・」
芥川自身は「僕の書いたもんぢゃ一番悪いよ」(松岡譲宛書簡1917)と、駄作と評していますが、罠にハマった盗賊たちが互いの愛憎を踏まえて命がけで助けたり裏切ったりする様は圧巻です。集合地が羅城門であり、仲間に多襄丸も登場するので、今昔物語の世界を堪能できる小説です。
青空文庫で無料で読めるので一読をおすすめします。

芥川龍之介 偸盗

青空文庫を縦書きで読める えあ草紙「偸盗」はこちら

偸盗◀えあ草紙
青空文庫テキスト形式に準拠した縦書きテキストビューワーです。スマホでも動きます。

【参考文献】
新編日本古典文学全集『今昔物語集 ④』(小学館)

巻四第二十四話 龍樹、透明人間になって犯しまくった話(芥川龍之介『青年と死』元話)
巻4第24話 龍樹俗時作隠形薬語 第廿四 今は昔、龍樹菩薩という聖人がありました。智恵は無量、慈悲は広大な方です。俗に在ったときは、外道(仏教以外の教)の典籍を学んでいました。そのころ、二人と示し合わせて穏形の(透明人間になる)薬をつくり...
巻二十六第十七話 狐を使者にした話(芥川龍之介『芋粥』元話)
巻26第17話 利仁将軍若時従京敦賀将行五位語 第十七今は昔、利仁の将軍という人がありました。当時もっとも力をもっている人(藤原基経)に仕えていました。越前国の、有仁という勢いもあり徳もある人の家に聟として入りましたから、結婚した後はかの...
巻二十八第二十話 高僧の長い長い鼻の話(芥川龍之介『鼻』元話)
巻28第20話 池尾禅珍内供鼻語 第二十今は昔、池の尾(京都府長岡京市)に、禅智内供(ないぐ、天皇など身分の高い人を修する)という高僧がありました。戒律をよく守り、真言などにも詳しく、行法はたいへん熱心でしたから、池の尾の堂塔・僧房などに...
巻二十九第十八話 羅城門の老婆の話(芥川龍之介『羅生門』元話)
巻29第18話 羅城門登上層見死人盗人語 第十八今は昔、摂津の国(大阪府)から、盗みをするために京に入ってきた男がありました。羅城門に至りましたが、日が暮れる前だったので、まだ朱雀大路(京のメインストリート)の方に向かっていく人が多くあ...
巻二十九第二十三話 妻を目の前で犯された男の話(芥川龍之介『藪の中』元話)
巻29第23話 具妻行丹波国男於大江山被縛語 第廿三今は昔、京に住む人が、妻の実家である丹波の国に向かって歩いていました。妻を馬に乗せ、夫は矢を十本ほど差した竹蚕簿(えびら)を負い、弓を持っていました。大江山(丹波の有名な山。酒呑童子伝説...
巻三十第一話 美女のウンコを食う話(芥川龍之介『好色』元話)
巻30第1話 平定文仮借本院侍従語 第一今は昔、兵衛佐(ひょうえのすけ、天皇を守護する役職)平定文という人がありました。字(あざな)を平中といいます。品もよく家柄もよく、姿かたちも美しい人でした。人あたりもよく話もおもしろく、世のあらゆる...
巻十九第五話 すべてを失った姫君の話(芥川龍之介『六の宮の姫君』元話)
巻19第5話 六宮姫君夫出家語 第五今は昔、六の宮というところに兵部の大輔(ひょうぶのたゆう、軍の下級役人)がありました。年老いていたので、古い習慣にならって人と交わることがなく、父が遺した宮の、すっかり木が伸びきって荒れ果ててしまった東...


この話を現代小説訳したものはこちら

現代小説訳「今昔物語」【恋人は女盗賊首領?その壱】巻二十九第三話之壱 人に知られぬ女盗人のこと 29-3-1|好転する兎@古典の世界をくるくる遊ぶ
人に知られぬ女盗人のこと その壱  今も昔も、謎に満ちた女盗賊というものは妖しい魅力があるものです。平安の都にもそんな女盗賊がいたようで、不思議な女と出会った若者視点でご悠流里とご覧下さいませ。  朱雀大路を右に曲がろうとして地蔵と目が合った。こんなところに地蔵があったろうかと太郎は訝《いぶか》しむ。朱雀大路は...
巻二十九
スポンサーリンク
スポンサーリンク
ほんやくネットをフォローする
スポンサーリンク
今昔物語集 現代語訳

コメント

タイトルとURLをコピーしました