巻31第14話 通四国辺地僧行不知所被打成馬語 第十四
今は昔、仏の道を修行する僧が三人、四国の辺地(伊予・讃岐・阿波・土佐)の海辺を廻ることがありました。僧たちはそこを廻っているうち、思いがけず山に入りました。深山に迷い、ただ海辺に出ることだけを願いました。
やがて、人跡絶えた深い谷に踏み入りました。歎き悲しみながら、荊棘(とげのある低木)をかきわけて行くと平地がありました。垣などがしつらえてあります。
「これは人の栖(すみか)にちがいない」
喜んで入っていくと、屋(家)が建ち並んでいます。
「たとえ鬼のすみかであっても、今はよい。道がわからず、どちらに行ったらいいかもわからないのだ」
家に立ち寄って声をかけると、家の内から、「誰ですか」と声がします。
「修行者です。道を違えてしまい、ここに参ったのです。どちらに行くべきか教えてください」
「すこしお待ちください」
中から人が出て来ました。六十歳ほどの僧で、すがたはとても怖ろしげでした。
三人を呼び寄せるので、「鬼だろうと神だろうとどうとでもなれ」と考えて、三人で板敷にあがりました。僧が言いました。
「さぞお疲れだろう」
ほどなくして、清潔な食膳が運ばれました。
「これはふつうの人ではないか」
そう喜んで、食膳をたいらげて座っていると、家主の僧がとてもけわしい顔で人を呼び寄せました。来た人を見ると、怖ろしげな法師でした。
「例のものを持ってこい」
主が命じると、法師は馬の轡頭(手綱)と笞(むち)を持って来ました。
主の僧が、「いつものようにせよ」と命じると、修行者のひとりを板敷より引きずり下ろしました。残りの二人が何をするんだろうと思っていると、さらに庭に引きずられ、笞で背をぶたれました。さらに五十度打たれ、修行者は声をあげ、「助けてくれ」と叫びましたが、二人にはどうしようもありません。
続いて、衣を取り去り、むきだしの肌を五十度打ちました。さらに百度打たれると、修行者はうつ伏せに倒れてしまいました。主の僧が「引き起おこせ」と命じ、法師が引き起こしました。すると、修行者はたちまち馬になり、体をふるわせて立ちました。法師は轡頭をつかみ引っ立てていきました。
残りの二人の修行者はこの様子を見て思いました。
「なんということだ。この世のこととは思えない。私たちもこのようになるのだろうか」
悲しくて、何も考えられずにいると、さらに一人の修行者が板敷より引きずり下ろされ、同じように打たれました。打ち終わり、また引き起こされると、馬に変わっていました。二頭の馬が、轡頭をつかまれ引かれていきました。
もうひとりの修行者は悲しく思いました。
「私も引きずり下ろされて、彼らのように打たれるのだろう」
心の内で、ふだん念じている本尊に、「助けてください」と祈りました。
主の僧は言いました。
「その修行者はしばらく置いておけ」
そこにいろ、と言われたところに居るうち、日が暮れました。
修行者は思いました。
「馬にされるぐらいなら、逃げ出そう。追いかけられて捕まり、死ぬとしても、命を棄てるのは同じことだ」
とはいえ、まったく知らぬ山中なので、どちらに逃げたらいいかもわかりません。「身を投げて死のうか」など、さまざま考え歎いていると、主の僧に呼ばれました。
「ここにいます」と答えると、「あちらにある田に水があるか、見てこい」と言われました。恐る恐る行って見ると、水がありました。帰ってそれを伝えましたが、「これも私をどうにかしようとして言っているにちがいない」と思うと、生きた心地がしませんでした。
誰もが寝静まったころ、修行者は「とにかく逃げよう」と考えました。笈(おい、修行者が背負うリュックのようなもの)も棄て、ただ身ひとつで出て、足の向いた方向に走りました。
「五、六町(約5、600メートル)は来ただろう」と思うころ、また屋がありました。
「ここはどんな家だろう」と恐ろしく思い、走り過ぎようとすると、屋の前に女房が立っていました。「あなたはどういう人ですか」と問われました。
修行者はおののきながら答えました。
「こういう者です。こんな経験をしたので、『身を投げて死のう』と考えて、ここに来ました。助けてください」
「ああ、そんなこともあるでしょう。お気の毒なことです。とりあえず入ってください」
「長年、このようなことが起こりました。しかし、私の力が及びませんでした。私はあなたを助けたいと思っています。私はあなたがたずねた僧房の大娘(正妻)です。ここからしばらく下りていくと、私の妹である女房がいます。しかじかのところです。あなたを助けられるのは、妹だけです。『ここから来た』と伝えてください。消息(手紙)を書きます」
手紙を書いて与えました。
「二人の修行者は既に馬になりました。あなたは、土を掘って埋めて殺そうとしたのです。『田に水があるか』と問うたのは、掘って埋めるためです」
それを聞いて思いました。
「よく逃げてきたものだ。今、命があるのは、仏の御助けだ」
消息を受け取り、女に向かって手を合わせ、泣きながら礼をして走り出ました。教えられた方に向かい、「二十町(約2200メートル)ほど来た」と思うころ、人里はなれた山辺に屋がありました。
「この家だろう」と考え、応対の人に「しかじかの御文(手紙)を持っています」と伝えました。使いはしばらくするとかえってきて、「こちらにお入りください」と言いました。
そこには女房がいて、言いました。
「私も長く、ゆゆしきことだと思っていました。姉もまた、手紙でこのように言ってよこしたことですから、あなたを助けたいと思います。しかし、ここにはとても恐ろしいことがあるのです。しばらく隠れていてください」
奥の間に隠しおいて、言いました。
「決して音を出してはなりません。もうそろそろ恐ろしいことが起こる時刻です」
修行者はとても恐ろしく思い、物音を立てず、動かずにおりました。
しばらくして、恐ろし気な気配がしました。生臭いにおいがして、かぎりなく恐怖しました。
「誰が来たのだろう」
そうと思ったとたん、入ってきました。家主の女房と睦まじく語らい、ともに寝ています。抱きあっている(セックスしている)ようでした。修行者は悟りました。
「女は鬼の妻なのだ。鬼はやって来て、女を抱いて帰るのだ」
とても気味悪く思いました。
やがて女房は帰る道を教えてくれました。
「本当にあやういところでした。うれしいと思うべきですよ」
修行者は前と同じように泣きながら伏し、礼して出て、教えられたままに進みました。曙がおとずれていました。
「もう百町(約一万メートル)ほどは来ただろう」と思うころ、白々と明けはじめました。見ると、よく知る正しい道に出ています。そのときはじめて心が落ちつきました。たとえようもなく喜びました。
人里をたずねて行って、人の家に入り、事の次第を語りました。その家の人も、「不思議なこともあるものですね」と言いました。里の人たちも話を聞いて、さまざまに問われました。
山で出会った二人の女房は固く口止めしていました。
「ありがたい命を助けたのです。ゆめゆめ『こんなことがあった』と言いふらしたりはしないでください」
何度も言われたのですが、修行者は
「こんな目にあって、どうして黙っていられようか」
と多くの人に語りました。年が若く勇敢な兵が、
「軍を出して行ってみよう」
と提案しましたが、どの道を行くかさえわからなかったので、中止になりました。おそらくは鬼も、修行者が逃げたと知っても、「道がわからないから逃げられないだろう」と考え、急いで追おうとはしなかったのでしょう。
その後、修行者は道をたどり、やがて京に上りました。あの怖ろしい場所がどこにあるかはついにわかりませんでした。人を打って馬に変えるとはどういうことだったのでしょうか。あれは畜生道だったのでしょうか。修行者は京で、馬になってしまった仲間のために、供養をしました。
修行は身を棄てて行うものと言いますが、無下に知らない土地に行ってはならないと修行者が語ったのを聞き伝え、語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
四国八十八カ所巡礼(四国遍路)のルーツとなる話である。現在の四国遍路は主に在家信者(一般人)によるが、かつてはこの話のように、修行者によっておこなわれていた。
この話に登場する姉妹の女房は、ともに「怖ろしき僧」の妻である。人里はなれた山中の家には、鬼が棲むとされた。
●英訳
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