巻2第34話 畜生具百頭魚語 第(卅四)
今は昔、天竺で、仏が諸の比丘(僧、弟子)とともに、梨越河(カシミール地方にある川)のほとりを行くことがありました。
その河に人が集まって、魚を捕っていました。網に魚を得たのです。そのは魚は、駝・驢・牛・馬・猪・羊・犬など、百の畜生の頭を備えていました。五百人(多数の慣用句)の者がかかりましたが、魚を水から出すことはできません。そのとき、河辺に五百人があって、牛飼いをしていました。それぞれが牛を放って、近寄って網を引きました。千人力を得て引いたことで、魚を水から出すことができました。
諸の人はこれを怪しみ、競って見ました。仏は比丘とともに魚のところに行き、魚に問いかけました。
「おまえを育てた母はどこにあるのか」
魚は
「無間地獄に堕ちました」と答えました。
阿難(アーナンダ、釈尊の身の回りの世話をした弟子)はこれを見て、その因縁を仏に問いました。
仏は阿難に告げました。
「昔、迦葉仏のころ、婆羅門(バラモン、カースト最上位の僧侶階級)があった。ひとりの男子をもうけた。名を迦毗利(かぴり)という。その児は智恵明了であり、誰よりも聡明であった。父が死んだ後、母は児に問うた。
『おまえは智恵にめぐまれた。世間におまえに勝る者があるだろうか』
児は答えました。
『沙門は私に勝っています。疑問があるとき、行って沙門に問うと、私のために喜んで答え、私を悟らせてくれます。彼が私に問うようなことがあれば、私は答えることができないでしょう』
母が聞いた。
『おまえはどうしてその法を習わないのか』
『私がその法を習うなら、沙門にならないといけません。しかし私は白衣(俗人)です。白衣には教えないことになっています』
『おまえはいつわって沙門となり、その法を習い得た後に、家に帰ってきなさい』
児は母の教えにしたがって、比丘となり、沙門のところに行って法を問い習い、悟り得たのちに家に帰った。
母は児にたずねた。
『法を習い得ることができましたか』
児は答えた。
『まだ習い終えません』
『これから後、習い得ることができなかったなら、師を罵り辱しめなさい。師に勝ることができるでしょう』
児は母の教えにしたがって、師のもとに行き、罵り辱めた。
『沙門よ、おまえは愚かで識(さと)りがない。頭はケダモノのようだ』
その罪によって、母は無間地獄に堕ち、はかりがたい苦を受けることになった。子は、今、魚の身を受け、百の畜生の頭を持つようになった」
阿難は重ねて仏に問いました。
「この魚の身を脱することはできるでしょうか」
仏は答えました。
「この賢劫の千仏の世にあっても、魚の身を脱することはできない。それゆえ、人は、身・口・意をつつしまなければならない。もし人が、罵詈して悪口を言えば、語にしたがって、その報を受けるだろう」
そう説いたと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
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