巻2第27話 天竺神為鳩留長者降甘露語 第(廿七)
今は昔、天竺に鳩留(くる)という長者がありました。五百人の商人をひきつれ、商いのために遠くの国に向かいましたが、途中で食糧が尽き、みな飢え倒れました。長者は思い煩い、あたりを見回しましたが、人の住んでいるようなところは見つかりませんでした。
山のふもとに、大きな林がありました。
人郷かと思い近寄ってみると、人郷ではなく、神の社でした。社に近寄ってみると、神はいらっしゃいました。
長者は神に申しあげました。
「私は五百の人をひきつれ、長い旅路を行きましたが、食糧が尽きて、今、飢えて死のうとしています。神よ、慈悲をもって私をお助けください」
すると、神が手をさしのべ、指先から甘露(アムリタまたはソーマ)をしたたらせました。長者がそれを受けて口にすると、今までの飢えの苦しみはまったく晴れ、楽しい気持ちになりました。
長者はさらに言いました。
「私は甘露をのむことで、飢えは消え去りました。しかし、私がつれている五百人の商人は、同ように飢え乾き、みな死のうとしていいます。彼らを苦しみから救ってください」
神は五百人の商人を召し、手より甘露を降らせ、全員にふくませました。
商人たちは甘露によって飢えから救われ、もとの健康な体を取り戻すことができました。道を求める心から神にたずねました。
「神よ、あなたはどんな果報があったから、手から甘露を降らせることができるようになったのですか」
「私は昔、迦葉仏(過去七仏)の世に人と生まれ、鏡を磨くことを職業としていた。あるとき、道で乞食の沙門(僧)と会い、たずねられた。
『富める家はどこか』
私は富人の家を指し示し、『あれが富める家です』と答えた。その果報によって、私は今、手から甘露をしたたらせることだできるのだ」
鳩留はこれを聞いて歓喜して家に帰りました。その後、千人の僧を請じて供養しました。
まだ仏(釈迦)が在世のとき、仏がこのように説いたと伝えられています。
【原文】
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【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
日本では「神仏」と併せて言うことが多いが、仏教において神と仏は同格ではない。仏とは輪廻を脱し永遠に生きる者、神とは人を超えるものではあるがいずれ死ぬものである。
死ぬとは生まれ変わることとイコールであり、かつて神だったものが次の世も神であるとはかぎらない。人になることも獣になることもある、それが輪廻という思想だ。
甘露はインドでアムリタもしくはソーマと呼ばれた霊薬の漢訳。仏教そしてさらに古層に属するバラモン教の書物に頻出するが、今もってその正体はわからない。幻覚植物ではないかとも言われたが、それじゃ飢えは満たされないよね。
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【協力】ゆかり
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